卑弥呼の時代へ、萩原墳墓群探訪。
萩原墳墓群1号墓の特徴
萩原2号墓発掘調査報告書2010は研究に役立つ必見の資料です。
県道12号線バイパス建設により消滅の危機を迎えた歴史的遺産です。
弥生時代終末期の貴重な前方後円形の墓がある史跡です。
「萩原墳墓群1983」「萩原2号墓発掘調査報告書2010」徳島県発掘調査報告書によると、・1号墓・2号墓ともに弥生終末期、前方が小さい前方後円形、西方頭位で埋葬。1号墓円丘部周囲溝が認められる。・ともに墳丘長26m。短里=76m説で、徑百餘歩25mに相当。1号墓径18m、2号墓径21.1m。・朱のイオウ同位体比分析では、1号墓+8.66、2号墓+3.10、どちらも中国陝西省産辰砂に相当する。・1号墓の画文帯同向式神獣鏡(A形式第2段階)は他所出土鏡のような補修痕はなく、大同区出土鏡と同笵の可能性有。・竪穴式構造の変遷は、2号墓→1号墓→石塚山2号墳→石槨の有るホケノ山古墳に繋がる系譜。1号墓・2号墓は魏志倭人伝の言う「有棺無槨」に相当する? 木槨はあるが石槨は無い。※『三国志』「魏書」烏丸鮮卑東夷傳倭國条「卑彌呼以て死す大いに冢(単に土を盛った程度の墓)を作る。徑百餘歩。」に相当し、卑弥呼の墓の候補となるべきもの。「徇葬者奴婢百餘人」 とは、男女100余名が取り囲んで葬儀を営んだことと解釈すべきではないか。 (徇葬と殉葬は異なる。)
| 名前 |
萩原墳墓群1号墓 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
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