信長公ゆかりの崇福寺、歴史探訪しよう!
崇福寺の特徴
崇福寺は織田信長公のお墓を祀る由緒ある寺です。
手入れの行き届いた様々な庭が魅力的で美しいです。
岐阜城からは長良橋を渡り徒歩で約15分の立地です。
長良川球場観戦前に拝観血の天井信長の麒麟の花押他にも歴史に詳しくないわたしでも知ってる事柄自動で音声案内とってもありがたいけどもっとゆっくりみたかった拝観料200円写真撮影はok
信長公お墓巡りで初訪問しました。拝観料を払い本堂にあがらせてもらうと信長公の書状や貴重な資料が見れました。スピーカーで解説が聞けるのがありがたいです。お参りをして寺宝を心ゆくまで見た後は本堂裏にある信長、信忠親子の廟所、位牌堂にお参りします。戒名は石碑に刻まれており少し薄くなっていました。緊張で震えてしまいます、、、親子でも全然違う戒名なんだなぁと思いました。
織田信長、信忠父子の廟所があります。廟所と言っても小ぢんまりとした霊屋がひとつあるだけで、一代の覇者の廟所としてはなんともさびしい限りです。お寺のほうも小ぢんまりとしていますが、観光客ウエルカムな雰囲気かつ本堂も庭園も手入れも行き届いているので気持ちよく拝観できます。わざわざ見に行くには厳しい見ごたえであっても、岐阜まできたついでであれば十分です。岐阜城下からも岐阜駅周辺からも外れているので、知っていなければ立ち寄り先にもならないと思われますが、大して離れているわけでもないので岐阜観光の折にはどうぞ。
真田戦記崇福寺岐阜県岐阜市長良福光2403−11567年織田信長は斎藤龍興を亡ぼし美濃に移ると崇福寺を菩提所とし、保護しました。本能寺の変で信長と信忠が明智光秀に討たれると信長の側室お鍋の方がその遺品を送り寺内に埋め位牌を安置させました。これが織田信長父子廟です。1600年岐阜城が廃城後、崇福寺は岐阜城天守の床板を譲り受け、血天井として張っています。また快川紹喜が住職を努めたこともある由緒ある寺です。
アクセスはあまり良くなく、車が無い場合駅からのバスしか無く、岐阜城側からだと長良橋から15分程歩きます。織田信長公父子廟があり、高さ139cm.巾39cm.厚さ30cmの石碑だそうです。1月1.2日.5月7日.8月1.5日大晦日、行事開催日は拝観出来ないみたいなので注意が必要です。
お寺の門の前に駐車場があります。参道、お庭はスゴく綺麗に手入れされてまして、参拝客がほとんどいないので、ゆっくり見られました。本堂に入って拝観料払うと、録音の説明が始まってそれに従って進んで行きます。本堂内の展示物は撮影大丈夫でした。一番気になっていた血天井は、400年以上経った今でもはっきり残っていて、驚きました。
門前に駐車場あり。稲葉一鉄の梵鐘を見つつ本堂へ。拝観料を払うと解説の音声が流れてくる。本堂内のあちこちに写真撮影はご自由にと書いてある。実に気前が良い。関ヶ原合戦の時の血染めの天井、信長直筆の雪月花の掛軸が特に目を引いた。本堂裏手に回ると信長、信忠親子の墓石あり。信長側室が建てたという。その隣には少々朽ちているが装飾を凝らした位牌堂。さらに奥には美濃国守護代の斎藤家の墓。見所の多い寺だった。
こちらは是非行って頂きたいところです。岐阜城、小牧山城、清洲城など、信長公縁の城が復元、博物館巡りになってしまう中で、岐阜城落城時の血天井、お鍋の方の書、位牌など…当時の物が多数保管されているお寺です。住職が丁寧に対応してくださいます。御朱印も手書きです。御朱印帳ではなく半紙に押したお寺のスタンプもそっと添えてくれていました!貴重な資料が多いのに規制が少ないお寺で、しっかりと見入ることが出来ます。説明はテープに録音されたものが流されるので、まずしっかりと聞いてじっくり見るのはテープが終わってからの方が取りこぼしなく良いと思います。このまま丁寧な保存管理を願います。
駐車場は正面にあります。織田信長の墓地があるお寺です。整備されており綺麗です、歴史的な絵画もあり落ち着いた雰囲気があるます。特に御庭は見ていて損はないと感じました。
| 名前 |
崇福寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
058-231-2613 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 9:00~16:30 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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岐阜県岐阜市長良福光に所在する臨済宗妙心寺派の寺院、神護山崇福寺です。ご本尊は延命地蔵菩薩、聖観世音菩薩。創建は明徳元年(1390)、土岐満康が竜潭宗濬を招き、その師弟である太白真玄が開山したのが始まりとされます。織田信長の菩提寺であり、有栖川宮家ゆかりの寺院となっています。