佐伯惟治公祀る神社の静謐。
富尾社の特徴
旧セメント工場前からの道順が明確で便利です。
神社は中世の名将、佐伯惟治を祀っています。
山際に鎮座し静かな空間が広がっています。
中世に佐伯を治めた佐伯惟治と子の千代鶴を祀る。佐伯惟治については佐伯市歴史資料館で立体模型を使った分かりやすい解説が見られるのでそちらを見られることをオススメします。簡単に解説します。1500年頃の佐伯氏は豊後府内(現大分市)を拠点とする大友氏の家臣でした。当時は佐伯城はなく、西の栂牟礼(とがむれ)山城を佐伯惟治が築城したとされます。佐伯氏は大友氏が鎌倉時代に九州にくるよりもっと前から存在する大神氏系の氏族であり、大友氏に属してはいましたが祖が異なる"他紋衆"でした。大神氏系でも臼杵氏や戸次氏は大友氏の養子を受けて取り込まれ"同紋衆"となっていましたが、佐伯氏は独立し続けたため大友氏にとっては扱いづらい存在となり冷遇されていました。そんな中の1527年、大友義鑑に「佐伯惟治が謀叛を企てている」と讒言する者が現れ、義鑑は臼杵長景に惟治の討伐を命じます。栂牟礼山城を包囲した臼杵長景ですが堅城のため落とすことができませんでした。そこで長景は一計を案じ「私が大友義鑑を説得し申し開きをする機会を用意するから一旦日向に逃れてくれ」と佐伯惟治を説得。それを信じた佐伯惟治は僅かな手勢を率いて日向に逃れますが、延岡の尾高智山にて襲撃を受け自害します。そして自害の報を聞いた子 千代鶴も自害してしまいます。これにて戦いは収束しましたが翌1528年に臼杵長景が病死。更に各地で異変が続いたことから「これは佐伯惟治らの祟りだ」ということでこれを鎮めるためにここ富尾神社が建立されました。また自害した尾高智山には胴体を祀る尾高智神社や首を祀る御頭神社など各地に20社ほどが建立されています。佐伯氏の祖である大神氏の始まりは祖母山(姥岳)の化身"祖母岳大明神"である繋がりから、祖母岳大明神の一柱豊玉姫命も一緒に祀られているようです。
| 名前 |
富尾社 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.7 |
| 住所 |
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R217を海崎に向かい旧セメント工場前で左折し地域道に入りJR線を渡り三叉路を左折し屋並みの間を進むと変電所奥の山際に神社は鎮座している。セメント壁伝いに進むと鳥居の置かれている100段位の石段を上ると石灯籠、手水舎、玉に乗る狛犬、鋼板葺き屋根の御社となる。県内では佐伯市内に同名の神社は数社鎮座しているが佐伯市のみしか出会うことのできない神社名であり時代の流れからだろう延岡でも佐伯惟治領主を御祭神とする神社を参拝した記憶がある。同じように佐伯市には宇目町に鴟野尾神社、鷹鳥屋神社があるが地域で普及した独自の神社名である。