本木昌造に触れる印刷文化。
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| 名前 |
本木昌造像 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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日本の印刷文化の礎となった本木昌造。1869(明治2)年に「活版伝習所」を開設した。ここでは電気メッキ技術を応用した“蝋型電胎法”という活字母型製造法を習得するなど、活版印刷のための活字鋳造及び組版の講習が行われた。翌1870(明治3)年、昌造は活版伝習所を退くとともに新街私塾内で「新町活版所」を創業。これが、日本初の民間活版事業をはじめたのである。弟子を大阪に派遣し「長崎新塾大阪活版所」を、横浜には同じく弟子を派遣し「横浜活版所」(日本初の日刊紙『横浜毎日新聞』を発行したとして知られる)を、そして京都にも派遣し「點林堂印刷所」を開業させている。明治の代になり、活版は急速に裾野を拡げていったが、その立役者の一人として本木昌造は大きな役割を果たした。