珍しい暗越奈良街道の石碑。
暗越奈良街道石碑の特徴
説明看板の石碑があり、歴史を感じる場所です。
昔の人が奈良へ歩いた道を辿る貴重な体験ができます。
暗越奈良街道の石碑を訪れて、歴史に思いを馳せましょう。
昔の人はこの道で奈良まで歩いて行っていました。今は近鉄電車に乗れば楽に行ける奈良ですが、一日で行く人、途中の松原宿で一泊していく人も居ました。現在の舗装された道ではない街道を奈良へ、更に伊勢神宮へ昔の人は歩いていました。
暗越奈良街道の石碑は数ありますが、詳細な説明があるのは珍しいと思います。そのまま引用します。『暗越奈良街道は、高麗橋(江戸時代は玉造)を起点に、奈良への最短コースを取る街道で、生駒山脈の横断は、暗峠を越えるのでこの名がある。古代に開かれた平城京への道は、一部この街道と重なると言われる。近世になって、豊臣秀吉の天下統一と、弟、秀長の郡山城での大和支配など、奈良との関係で重視された。江戸時代、元禄7年(1694)俳聖芭蕉は、この道を通り来阪した。これが芭蕉最後の旅となった。また、ほぼ60年周期で爆発した伊勢参宮「お陰詣り」のときは、1日7.8万人の旅人で賑わった。 平成4年 大阪市』2024/3/28 訪れた時には、廃業していた、あやと歯科の前にあった。西側には「南無妙法蓮華経法界」と書かれた道標が建っている。日蓮宗の仏教寺院である常善寺が、三町(330m)離れていることを示している。この日、朝6時に出発しあてもなく歩いて、生野区巽から東成区を回り、ここの石碑の前で座り込んだのは、15時を回ってた。曇りの日だったので、幾分写真の発色が良くなかった。暗越奈良街道の起点を高麗橋としたのは、明治9年の里程元標設置時のことである。街道の宿場町として『松原宿』が有名であるが、実は奈良街道には幕府が創設した宿場はこの松原しかなかった。大阪府河内の松原市ではなくて、東大阪市の松原である。「松原宿跡図と道標」が、東大阪市立英田北小学校南側校門前に設置してある。
詳しい説明があります。
| 名前 |
暗越奈良街道石碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
〒537-0014 大阪府大阪市東成区大今里西1丁目5−16 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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説明看板の石碑があります。他は道端にありますが、ここは専用の場所(?)に設置されています。