本田一丁目の歴史を感じる。
旧町名継承碑 『本田一~三番町』の特徴
旧町名継承碑の歴史が感じられる、本田一~三番町の魅力です。
石碑には梅本から移行した町名の由来が詳細に記されています。
川口1〜3丁目と本田1丁目の変遷が伺える貴重な史跡です。
旧町名継承碑 、本田一~三番町。中央大通りとみなと通りの「川口1交差点」の北東角の歩道緑地帯に建っています。現在は、川口一~三丁目・本田一丁目の一部となっています。明治初頭、大坂三郷北組の梅本町と呼ばれたが、明治6年に梅本一~三番丁になり、明治7年にこれらは本田一~三番町となりました。明治22年の大阪市制施行に伴い、西区に編入されました。以来、昭和52年の住居表示の実施で消滅するまで存続した町名です。町名の由来は、新田に対して本来の田地の意味を具えた地域であったことに由来したそうです。低平地に新たに切り拓かれた新田に対し、この辺にはそれより昔から田んぼがあった、ということでしょう。江戸時代は、大坂の海岸線はかなり東であったはずなのですが、この辺は海ではなかったということでしょうかね。江戸時代の地図をあたってみないと解らないですね。さらに余談ですが、大阪の道は、南北に通る「筋」と東西を繋ぐ「通」が交差するものと思い込んでいたのですが、勉強不足でした。
| 名前 |
旧町名継承碑 『本田一~三番町』 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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石碑によると梅本1〜3丁目が本田1〜3丁目になり、今は川口1〜3丁目と本田1丁目になぅたそう!