旧町名継承碑を見に来て!
スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
| 名前 |
旧町名継承碑 『横堀一~七丁目』 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
スポンサードリンク
周辺のオススメ
スポンサードリンク
スポンサードリンク
旧町名継承碑、横堀一~七丁目。その町名の由来は、現在は殆どが埋め立てられてしまった西横堀川に沿った街並みであったことに依る。明治初頭まで、大坂三郷北組の七郎右衛門町一~二丁目・浜町・長浜町・椹木(さわらぎ)町・西笹町・五幸町と呼ばれていた各町は、明治5年に横堀一~七丁目となった。明治12年に横堀一~六丁目は東区、横堀七丁目は南区となり、明治22年の市制施行に伴い大阪市東区と南区に編入された。昭和57年の住居表示の実施により、横堀七丁目は東船場四丁目の一部となった。平成元年に東区と南区が統合されて中央区となったが、その際、横堀一~六丁目は、北浜・今橋・高麗橋・伏見町・道修町・平野町・淡路町・瓦町・備後町・本町・南本町・船場中央・久太郎町・北久宝寺町・南久宝寺町・博労町の各四丁目の一部となった、という。じつに16におよぶ町区に分割編入されてしまったが、編入先はいずれも大坂と呼んでいたころから続く由緒ある町である。