神武天皇像が見守る特別な空間。
彌健神社の特徴
旧彌栄神社は、神武天皇像が祀られている場所です。
日本陸軍歩兵第18連隊の歴史を感じられる神社です。
敷地内には、厳かな雰囲気が漂っています。
連隊の営内神社だった2024年10月中旬、吉田城&吉田宿探訪の際に行きました。鳥居の横に社号標があり、その奥には社殿はなく、なぜか神武天皇の銅像があります。調べると明治以降、吉田城の敷地には大日本帝国陸軍歩兵第18連隊が置かれたこともあり、彌健神社は連隊の営内神社でした。かつては社殿があったものの何らかの理由でなくなり(戦災?)1965年、かつて他の場所にあった神武天皇の銅像を鎮魂の意図を持って移設下したとのこと・・・すっきりしました。
歩兵第18連隊営内神社です。現在は鳥居だけが残されています。その鳥居には「三遠国防義会」「昭和八年四月三日建立」と記されています。大正後期の建物配置図には「稲荷跡」が見えます。これは境内の「金柑丸稲荷跡」にあるように、金柑丸稲荷社が建っていたものです。(明治11年に吉田城内5社の稲荷社を合祀し吉田神社に移したそうです)その場所に、彌健神社を建立したということです。現在、その社殿跡には、神武天皇の銅像があります。この神武天皇像は「歩兵第十八聯隊の戦病死者を追悼するため、明治32年(1899)八町練兵場の南、中八町に軍人記念碑として建設されました。その後、大正5年(1916)には練兵場内の北側に移設され、第2次世界大戦後に撤去されて」(豊橋美術博物館「弥健神社跡」)いたものを、昭和40年(1965)に、この場所に移設した、ということです。
豊橋公園内、吉田城本丸跡手前にある神社。社殿などは特にない。
神武天皇の像がある。神社だが、とくに建物はない。神武は初代天皇とされるが、神武天皇というのは後でつけた名であり、古事記においては、彦火火出見(ひこほほでみ)という名前である。兄たちは新羅王になったと書いてあるので、末っ子のひこほほでみも、新羅の人であろう。しかし、今では日本を建国した人となっている。
神武天皇像は,日清戦争後の明治32(1899)年3月,歩兵第18聯隊兵営の東に広がる八町練兵場南正面に軍人記念碑として建立されました。神武天皇像の作者は,岡崎雪声と言われていますが,実作者は松田鹿三です。この軍人記念碑は,大正5(1916)年練兵場北中央に南面して移設されました。第2次世界大戦後,神武天皇像は撤去されましたが,昭和40(1965)年吉田(豊橋)城址(じょうし)の金柑丸に再建されました。
金柑丸阯にいくつかある、お宮さまを示す石柱の一つなります。今は鳥居をくぐると、日清戦争戦勝記念に我が国の民の尊いご寄附により作製された初代神武天皇の立像が、歩兵第一八連隊の記念碑の上に、ご縁があり遷座されています。そのお姿は当時の伝承衣装を身に纏われ、お顔は畏くも明治天皇をモデルに造られたそうです。威厳に満ち溢れる銅像にお詣りでき、敢えて地の言葉で、ありがっ様です。
厳かな気持ちになれる空間で、神武天皇像が奥にございます♪
社はない。代わりに神武天皇の銅像がある。この神武天皇の顔は明治天皇の顔を模しているらしい。この地にあった陸軍歩兵第18聯隊の名残り。神社としての建物自体がなくて、何だかとてもユニークな空間だった。
もともとは日本陸軍歩兵第18連隊が駐屯していた時の連隊で出てしまった戦病死者を祀る為の神社。現在は神武天皇像をお祀りしています。
| 名前 |
彌健神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0532-51-2882 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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鳥居をくぐると社殿がなく、銅像があります。謎の神社。