名取市の竹林で実方想う。
藤原実方朝臣の墓の特徴
名取市西部の山すそにある藤原実方のお墓で、歴史的な散策スポットです。
芭蕉や西行法師が訪れた歌枕としても知られる、有名な史跡となっています。
竹林に囲まれた良い雰囲気の場所で、静かに過去に思いを馳せることができます。
芭蕉と同じ様に帰るところでした。その奥まで行ってみましょう!
この墓を訪れようとして果たせなかった松尾芭蕉の碑から、さらに民家の細道を抜けてまっすぐ森に入ったところにあります。分かりづらい所にあり見落としてしまいそうですが墓所には良い場所だと思います。墓所は大きくはありませんが整備が行き届いています。トイレらしきものは見当たりませんでしたが、近場に数台停まれる程度の駐車場があります。
お参りに訪れました。手入れされていて雰囲気が良かったです。
2024.02.08限られた時間で名取市西部周辺の歴史散策を決行。智福院・佐倍乃神社・永禅寺に続いての名取寺社仏閣行脚の番外として、こちらの藤原実方朝臣の墓へ。今年の大河ドラマがちょうど彼の時代背景と沿うようで、ちょっと気になって訪問決定。光源氏のモデルとの声もあるが、大河においては「道長」がその対象のようだ。それはさておき、近所にこうした場所があるのなら見ておいて損はない。仙台岩沼線から入ると間もなくに位置するが、駐車スペースは「実方橋」からさらに50メートルくらい先に設けられている。実方橋をわたって西行の歌に関する「かたみのすすき」や竹林を横目に歩き進めると、ひっそりとしたところに墓。出世競争激しいその時代を左遷という形でこの地へ流れ着いた背景が重なる、物寂しい空間がここにある。
中将藤原朝臣実方(藤原実方)のお墓は宮城県名取市西部の山すそにあります。お墓と言っても墓石はなく塚のようになっていました。地元の方によって花が飾られ、大切に整備されていました。この地にお墓がある理由は、藤原実方が天皇より陸奥守に任ぜられ陸奥国へ下る途中、笠島道祖神前で馬から下りて通るべきところ、そのまま通ったため神罰が下って落馬してしまいこの地で亡くなったと云われています。この非運な死を哀悼して、西行法師や松尾芭蕉が名取の地を訪れ歌を詠んでいます。中将藤原朝臣実方(ちゅうじょうふじわらあそんさねかた)は、平安時代中期の公家・歌人で、中古三十六歌仙の1人で、源氏物語の主人公・光源氏のモデルともされています。\ufeff
帰省してこの辺りにくると立ち寄ります。墓碑も無い、墳墓が竹林の中にひっそりとある。歴史上の故人が確かにいたのだと感じる。不遇の中で何を想い、生きたのか。このような史跡を大切にしているのは素晴らしい。
芭蕉は辿り着け着けなかった場所なのですね。
一般家屋の直ぐそばにあってびっくり。なとりん号のバス停もあったので、バスでも行けると思います。
名取市の史跡です。竹林の中に佇む良い雰囲気の場所です。手入れも行き届いているようで、駐車場もあります。
| 名前 |
藤原実方朝臣の墓 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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手入れの行き届いた竹林の中に ひっそりと佇む墓所。木の柵で囲まれてはいるが、立派な墓石などはなく、とても質素なつくりである。「源平盛衰記」によれば、一条天皇の御代に 三十六歌仙の1人として優れた歌人があった。藤原実方朝臣という。出自は かの名門 藤原氏の一族。また実方は、美形の優男との評判ながら、腕に覚えの武芸の達人としても名を馳せていた。こりゃモテないわけがないよね。数多の宮廷美女と浮名を流し、その一人には 「枕草子」を著した清少納言の名も挙がっている。そんな 花形の貴公子であった彼は、少々 短気で喧嘩っ早いヤンチャな兄ちゃんだったようで、宮中で暴力沙汰を起こし、一条天皇の怒りを買って 陸奥国司に任ぜられ都から下向した。国司としての仕事に仕えていた彼が 当地の 佐倍乃神社の前を 馬に乗ったまま過ぎようとしたので、地元のひとから下馬して再拝するよう諌められた。だが それを無視しただけでなく、祀られている御祭神への失礼な発言までしてしまったものだから 怒りの神罰を受けてしまい、落馬して大怪我を…。その後 手当てを受けたものの 養生の甲斐もなく 亡くなってしまったという。かつて 栄華を誇った都での華麗な生活を忍びつつ こんな みちのくの片田舎で生涯を終えることになろうとは、さぞや ご無念だったことでしょうね。