広瀬を渡ればいろはかるた板。
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| 名前 |
古戦場いろはかるた「き」 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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奇襲隊 広瀬を渡りて 鳶ヶ巣へこの場所にはいろはかるた板があるだけで、実際の広瀬の渡しはもう少し道を進んだ先にあります。長篠合戦では、織田・徳川連合軍の別働隊が夜に戦場の南を迂回して行軍し、翌朝に武田軍の鳶ケ巣山砦を背後から急襲したと言われています。「信長公記」によると、織田信長公が酒井忠次に別働隊を率いて鳶ケ巣山砦を急襲するように命じたそうです。徳川方の「三河物語」では、酒井忠次が信長公に献策して聞き入れられたとあります。また「信長公記」では、兵数は酒井忠次を中心に徳川軍2,000人、織田軍は信長公の直轄の鉄砲隊500人に金森長近らの1,500人で、合計4,000人。午後8時ころに出発し翌午前8時ころに鳶ケ巣山砦を急襲したとあります。徳川方の「当代記」によると兵数は5,000人で、別働隊がとった経路を示しています。そこから、広瀬から豊川を渡り、吉川から松山を越えて鳶ケ巣山砦を攻撃したと推測されています。