江戸城の歴史、芝口御門跡地で発見!
芝口御門跡の特徴
芝口御門は新井白石が建設した歴史深い城門跡です。
朝鮮の聘使に備えた重要な文化的リーダーシップの象徴です。
銀座御門通り沿いに位置し、訪れやすい由緒ある史跡です。
江戸時代に、新井白石の進言で1709年に江戸城西の丸に立てられた門の跡地。その後、1724年の大火で焼失した。
昭和39年(1964年)まで新橋が架かっていました。この新橋の北詰に、城門が建設されて、芝口御門と呼ばれ、新橋は芝口橋と改称されました。
ふらっと通りかかると史跡がありました。新井白石の我が国の威光を顕示するための建策で設置。昔の人はいろいろなことと戦ってたんだなと改めて思った。
三十間堀跡から少し歩くと芝口御殿跡も発見~👀。新井白石の建築で城門が建設され"芝口御門"と呼ばれており、新橋は芝口橋と名前が変わった次期があったとのことで、びっくり~😲。石垣と枡形もあったとのことで見たかったな~とも思いつつ後に(^^)。
朝鮮の聘使の来朝に備えて新井白石の建策により国威を示すため桜田門のような城門が建設されたそうです。銅板の絵を見ると三十間堀と汐留川がつながるあたりに造られたのですね。建築後十年で焼失、ここに架かっていた浜口橋は旧称の「新橋」に戻されたそうです。首都高を挟んで、「新橋跡の親柱」「三十間堀跡」「浜口御門跡」の三つの史跡が隣り合わせになっていますが、こういう関係だったのですね。浜口御門跡は銅板の絵と説明文のみですが、花がきれいに活けられていました。説明文は木が生い茂って、ちょっと読みにくい。写真を撮っていたら、何しているのという目で通行人に見られていまいました。私も何があるか知らなかったら、素通りしちゃいますね。
宝永7年(1710)朝鮮の聘使の来日に備えて、我が国の威光を顕示するために芝口御門が設けられた。同年に高輪大木戸を設け東海道の表門とした。幸橋門の下流に架かる芝口橋を渡り冠木門から枡形に入るあたりは、現在の銀座8丁目の中央通りである。汐留川の芝口門に架橋された当初は新橋(あたらしばし)呼ばれていたが、のちに芝口橋と改称された。芝口門は15年後の享保9年(1734)に焼失して以来、再建されず石垣も撤去され、芝口橋はもとの新橋の旧称に復した。この橋が現在の新橋の地名の発祥の地である。
高速沿いに流れていた汐留川にかかっていた新橋に作られた、江戸城の城門の跡地です。新橋は芝口御門が設置された際に芝口橋と改められましたが、御門がなくなってからは元の名前に戻りました。江戸時代、戦前のこの近辺の風景はかなり違ったようです。
1710年当地に城門を築き、芝口御門と称され、新橋は芝口橋と改称された。しかし1724年に焼失して以来、再建されず石垣も撤去、芝口橋も新橋に復されたという。銀座8丁目10番ビル(何てテキトーな名前だ)の角にあり、石碑と碑文があります。ちょっと見る程度なので興味のある方は寄ってみては?
わかりやすい場所にあるのですぐ見つけられる場所です。芝口御門という縄文があったが焼失してしまったとのことです。
| 名前 |
芝口御門跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
見過ごすくらい小さい碑です。