黄瀬川と愛鷹山を望む歴史の城。
長久保城趾の特徴
長久保城跡は江戸時代に廃城となった歴史的な場所です。
城跡は南曲輪と八幡曲輪が残り、守りの堅い形状が特徴的です。
城の周辺には黄瀬川の河岸段丘があり、自然の美しさが楽しめます。
いわき市勿来地区の長久保氏のルーツてあると聞き、行ってきました。神社の中と道路を挟んだところに石碑がありました。神社には土塁が残っているのが見ることができました。お城の痕跡は確認できました。
現在は城山神社公園として近所の方々の憩いの場所となっているようです。少ないながらも無料駐車場もありますし、目の前には大型商業施設もありますので、不便はしないと思います。公園とは少し離れた場所に大きな石碑もありましたので、併せてそちらも見ると良いでしょう。
お城の跡と言うか、隣にちょっとした公園を併設した城山神社があります。都会の真ん中にある癒しの空間です。
元はそこそこ大きな城だったみたいだが。開発やら道路で、現在遺構は神社有るところの少しか残って無い。土塁や曲輪の跡がわかります。
城山神社のあるところが長久保城の一画になります。城山神社だけでも、城跡っぽい雰囲気を醸し出していますが、ここだけだと縄張り全体の4分の1くらいでしょうか。石碑と説明碑は、246号を渡った三菱アルミセンターの脇にあります。
駐車場は神社の裏手、すなわち城山通りから桃沢方面に行く道路に入り、すぐ右の道に入るとあります。
江戸時代に廃城立とか、三方を道路で囲まれ、西方に多分二の曲輪?が有ったのでは、平城故徐々に高く帯曲輪の様に土塁があったのでは、公園といえ寂しいですね。
築城時期等は不明ですが、今川氏に仕えていた国人・長久保氏の築城と云われています。愛鷹山の尾根末端の自然の地形を活用して造られた平山城です。戦国時代には、甲斐の武田氏、相模の北条氏との境目の城として幾度も争奪戦が繰り広げられました。天正10年(1582年)武田氏滅亡後、徳川家康支配下の城となりましたが、小田原の北条氏滅亡後、徳川家康が関東に転封され、豊臣秀吉の家臣・中村一氏が治めていましたが、慶長5年(1600年)移封に伴い、長久保城は廃城となりました。現在遺構として、城山神社に土塁が残っています。
長久保城(ながくぼじょう,静岡県駿東郡長泉町)梯郭式平山城,標高95m(三の丸の土塁),比高30m(三の丸の土塁と大手曲輪の間)に登城しました.現在、本丸,二の丸はトイザラスが入ったショッピングセンターになっており,八幡曲輪と三の丸の間には国道246号が通っています.三の丸は長泉北小学校が大分占めています.城として残っているのは南曲輪と八幡曲輪です.往時の姿が無いように見えますが,しかしその一方で黄瀬川の河岸段丘と愛鷹山からの溶岩断崖をうまく利用した守りの堅い城であったことは,今でもその形状をそのまま見ることができます.
| 名前 |
長久保城趾 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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駿河と伊豆の国境に位置し、黄瀬川と支流の桃沢川を臨む戦略的に重要な平山城です。今川・北条・武田がこの城をめぐって争いました。天正18年(1590)には小田原攻めの前に豊臣秀吉と徳川家康が城内で山中城攻めの最後の軍議を練ったと伝わります。現在、遺構は城山神社に曲輪、小学校の近くに横堀が残っているくらいで、ほとんど消滅しています。城巡りするには、かなりマニア向きです。城山神社から石碑まで歩くと城の規模が実感できます。先に長泉ビジターセンターを訪問して情報を仕入れてから城跡に向かうのをお勧めします。