戦国の風を感じる箕輪城。
箕輪城跡の特徴
日本100名城の一つで、壮大な長野氏の城跡となっている。
整備された空堀や曲輪が美しく、歴史を感じる散策に最適。
武田信玄も戦を避けた、戦国時代の名将の本拠地の雰囲気が魅力的。
2026/5/10 に登城しました。■アクセス高崎駅西口2番バス乗り場から群馬バスの「箕郷営業所」方面、または「伊香保営業所」方面行きに乗車し、「箕輪田町」バス停で下車、徒歩15分ほどで登城口(大手尾根口)に到着します。そこから徒歩10分ほどで城跡にたどり着きます。なお100名城スタンプは城跡には置いておらず、「箕輪田町」バス停近くの高崎市箕郷支所、または箕郷公民館に設置されています。■城跡戦国期に上野の有力国衆・長野氏の本拠となった巨大山城で、その後は武田氏、織田氏、北条氏、徳川氏といった有力勢力によって改修・整備された城です。城跡としては、関東の戦国山城らしい大規模な土造りの城郭で、空堀や土塁による空間分節が非常に印象的でした。郭馬出から二の丸、本丸、御前曲輪へと進むだけでも、各曲輪がしっかり独立した空間として成立しており、それぞれ異なる雰囲気を楽しめます。特に本丸は全面的に土塁で囲まれており、独立性の高い空間となっていて見応えがありました。さらに丸馬出、新曲輪、稲荷曲輪、蔵屋敷、三の丸などまで含めて見て回りましたが、全体的に曲輪の規模が大きく、単なる軍事拠点というより、有力戦国大名の本拠としての格を感じられる城でした。蔵屋敷や鍛冶曲輪、木俣(家臣団屋敷跡)などもあり、戦うためだけではない城としての性格も感じられます。また、基本的には土の城ですが、三の丸をはじめ、鍛冶曲輪や虎韜門周辺、御前曲輪西堀などでは野面積みの石垣も見ることができ、関東の戦国山城としては比較的珍しい見どころだと思います。土造りの力強さと石垣の迫力の両方を楽しめました。訪問時は日曜日でしたが、全体的に人は少なく、落ち着いてじっくり見学できました。主要部だけでも十分楽しめますが、各曲輪を丁寧に見て回るならかなり見応えのある城だと思います。
☆戦国時代の関東でも屈指の規模を誇る城郭。城地は南北1100m×東西500m、東京ドーム約10個分という広大な平山城は見所満載😆西上野要衝の地、西上野の戦国大名「長野氏」居城、北に越後の上杉氏・西に甲斐の武田氏・南に相模の北条氏と物凄く大変な場所、長野氏⇒武田氏(内藤昌豊)⇒織田氏(滝川一益)⇒北条氏(北条氏邦)⇒徳川氏(井伊直政)と綺羅星の如く名のある戦国武将が箕輪城に入城改修を加えた巨城。現在の縄張は徳川家康の関東入封に伴い箕輪城12万石を拝領した「井伊直政」時代の縄張普請、西に榛名白川・南に榛名沼を天然の要害とする河岸段丘上に本丸中心に梯郭式縄張、井伊直政の築いた強固な城郭遺構⚔️☆現在の箕輪城跡は散策路が環境整備されて凄く見て回りやすく、要所には分かりやすい説明板を配置、隅から隅まで見所多く面白い、数多くの曲輪に無数の大きく深い堀切、復元された郭馬出西虎口門に2026月4月復元された本丸西虎口門、三の丸と鍛冶曲輪の苔むした野面積乱積の石垣と城郭好きには堪らない箕輪城跡。特に堀切内の堀底道が整備されているのに感心、大堀切を歩くと大きさに圧倒され、本丸〜御前曲輪の西堀切内は高さを実感し見上げた本丸西虎口門と木橋の景観は必見だと思います、曲輪以外の散策路もユックリ歩き回ると素敵な城郭の風景に出会えました、約440年間凄く良く城郭遺構が遺ったと感嘆😄☆「史跡箕輪城跡」駐車場は舗装され広くて男女別の綺麗なトイレも完備されていて安心です、虎韜門跡の横にも未舗装の駐車場あり目の前が大堀切西端の入口に成ってます、足元は確りした運動靴、夏場は絶対に虫除けスプレー必需品、ドリンクも持参🚙★熊出没…箕輪城跡周辺ではツキノワグマ出没の注意喚起が、アプリ事前確認、城域の奥や周辺を歩く場合も熊鈴や複数人での行動をお薦めします🐻⚠️
戦国中期にこの地域を支配する長野氏により築かれ、秀吉政権下の戦国末期に廃城となる上杉、武田、北条の有力三大名に囲まれる地域にあり、常に戦乱に巻き込まれる歴史だったようです国の史跡に指定されています観光地として良く整備されていて、それ程険しい山城でも無いので、とても見学しやすくなっています戦国時代に既に廃城になっているので天守閣など城っぽいものはありませんが素人でもここがかつて防衛の為に作られた要害城だったとわかる構造がたくさんあります虎口門など近年復元された建物などもいくつかあります。
JR高崎駅西口を出て群馬バス2番のりばの箕輪営業所行もしくは伊香保温泉行に乗ります。箕輪城跡に一番近い「城山入口」停留所で下車してから徒歩約5分くらいの場所にある東日本最大級の平山城の跡です。現在は国の史跡及び日本100名城に指定され、戦国時代期の遺構が保存されています。1500年頃といわれ、長野業尚(ながの なりひさ)による築城とされています。その後、武田信玄、織田信長、北条氏、徳川家康にわたり戦国時代を代表する武将が支配しています。最後の武将は徳川四天王の一人である井伊直政で高崎城に移るまでこのお城を拠点として活躍しました。敷地はかなり広大ですが、史跡公園として整備中で、特に堀や石垣の造りは規模が大きく見どころです。
広い城跡です。多くは宅地などに変わっている事が有りますが箕輪城はそのままの規模で残っています。長野氏が築城後僅か60年程で武田軍に敗れ明渡しとなったようです。その後徳川の時代には井伊直政が城主、高崎市内に城を移し廃城🏯となっています。 堀は確認できますが、石垣の殆んどが時の流れで埋まっている様で見れません。調査結果です。高崎市箕輪城は約500年前に長野氏によって築かれました。現在の城跡は、井伊直政在城当時の姿に最も近いと考えられます。昭和62年に群馬県の戦国時代を代表する城郭跡として国史跡に指定され、平成17年には日本百名城にも選出されています。広範囲にわたる敷地内には散策コースが設けられ、四季折々の自然も楽しむことができます。
高崎駅からレンタカーで約1時間余りで麓の駐車場に到着。駐車場は比較的広くトイレもあるので便利です。攻城してみるとかなり壮大な縄張りで西側と、南側は自然を生かした天然の外掘、北・東は堀で守られ、武田信玄公のライバルで長野十六槍を率いる名将長野業正公が城を守った際は、「信玄公から業正が箕輪城を守っている間は上野攻めとれんわ」と言われるのもむりからんと思うような難攻な城構えでした。今は散策道が整備されているので本丸まで容易に攻め込めます。城に設置されたマップ上の散策道をくまなく回って約1時間半くらいでした。今の城跡の形になったのは、徳川四天王の一人井伊直正公の時代とのことですが要所に石垣があるものの、特に地形を活用した広大な曲輪と大堀切が見事に配置されており、実際散策してみるとなかなかお目にかかれない規模の堀切でおもしろいです。なんというかザ関東産の平山城やなという印象の城です。毎年、お城を会場に「箕輪城まつり」なるものを開催されているそうで、攻城した際はまさに準備中といったところでした。まつりでは、箕輪城攻防戦等のイベントもあるみたいで城を活かしつつ後世にお城の歴史を伝えていく面白い取り組みだなと思いました。百名城スタンプは城跡より少し離れた高崎市箕郷支所にありますのでゆめゆめお忘れなきよう。
日本100名城の一つ。名城スタンプは城跡より南に位置する高崎市箕郷公民館に設置してある。休日は日直窓口で受け付けていた。地図入りのパンフレットは公民館で無料配布しているので、先に寄った方が良い。案内表示がある広い駐車場(無料)からは急な上り坂を徒歩で登っていくが、どうやら途中までは車で行けるようであった。見学コースは空堀の中を進む道もあり、起伏に富んでいて面白いが、高低差があるので足腰が弱い方にはキツイかも知れない。建物は復元された郭馬出西虎口門があり、他の建造物はほとんど残っていない。
箕輪城は、戦国時代初期に上野国の有力国人・長野氏によって築かれた山城で、関東地方屈指の中世城郭です。丘陵地に築かれた広大な城域を持ち、堀や土塁、虎口(こぐち)など中世城郭の特徴をよく残しています。武田信玄の侵攻により長野氏が滅亡した後は武田氏、北条氏、そして徳川氏の手に渡り、井伊直政が入封して近世化を進めるも、のちに高崎城へ拠点が移され廃城となりました。現在は復元された郭馬出西虎口門や整備された城跡公園として公開されており、日本100名城にも選定されています。
日本100名城No.16の箕輪城へ行ってきました。この城を武田軍が何度か攻め込むも、長野業正(業政)公が守り切り、武田信玄公に「長野業正がいるかぎり箕輪城は落とせない」と嘆かせた説があるそうです。そこから時代が移り、猛攻に抗しきれずにとうとう落城となったエピソードが歴史の儚さを感じさせてくれました。城跡としては良い保存状態であり、縄張りをほぼすべて見て回ることができます(時間がかかりますが)。西側の冬の時期の朝の時間帯では至る所で霜が降りており、ザクザクと土を踏みしめる感覚がとても懐かしく感じられました。日曜日であれば、東側の駐車場に御城印をはじめとした箕輪城に関するグッズ販売のテントが設けられていて、100名城スタンプもそこで入手できます。
| 名前 |
箕輪城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
027-321-1292 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.takasaki.gunma.jp/kankou/history/minowazyoushi.html |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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箕輪城跡は、群馬県高崎市にある戦国時代を代表する平山城跡で、日本100名城の一つに選ばれています。15世紀末から16世紀初頭にかけて、上野国の豪族である 長野業尚 によって築かれ、その後は長野氏の本拠として発展しました。城は榛名山東南麓の丘陵地に築かれ、西を榛名白川、南を榛名沼に守られた天然の要害でした。特に城主 長野業正 の時代には、武田信玄の度重なる侵攻を退け、「難攻不落の名城」としてその名を知られました。しかし永禄9年(1566)、武田軍の総攻撃によって落城しています。その後は武田氏、織田氏、後北条氏、徳川氏の支配を経て、徳川四天王の一人 井伊直政 が城主となり大改修を実施しました。現在残る石垣や馬出、空堀の多くはこの時代の遺構と考えられています。現在は国指定史跡として整備され、復元された郭馬出西虎口門や広大な空堀、土塁などから戦国城郭の姿を体感できます。関東屈指の名城として、多くの歴史ファンが訪れる人気の史跡です。