井伊家ゆかりのパワースポット。
渭伊神社の特徴
ムササビが住む杉の巨木に囲まれた神社です、訪れる価値があります。
天白磐座遺跡や岩の祭祀跡があり、歴史を感じられる場所です。
静かで清々しい空気が流れる浜松のパワースポットです。
子供連れのお散歩にもオススメ。住宅街に佇む自然豊かな神社。私は見つけれませんでしたがムササビの森にムササビもいるみたいです。近くにある龍潭寺は人間の技術と工夫の結晶って感じですがこちらの神社は自然を楽しむタイプの場所になります。慌ただしい日常からたまには離れて自然豊かな場所でのんびりリラックスしてみてください。静岡県を中心に色々なお店を回っております。私が個人的に好みだったお店やスポットなどをまとめたリストもプロフィールから見れるようになっておりますのでよかったらフォローお願いいたします。
強風の中、うちからチャリで行きました。いなさへチャリで行くのは3回目。この周辺は見所がいろいろあって、庭園で有名な龍潭寺、その隣りは井伊谷宮。数キロ離れたところに竜ヶ岩洞。更に離れたところには方広寺。今回訪れたところは渭伊神社。でっかい石があると聞いて気になって来ました。分かりづらいところにあって何度かマップ確認しました。こんな住宅街にあるのかと思うところにあります。静寂、閑散、少々荒れた建物。誰もいません。目当てのデカ石は本殿の裏にあります。天白磐座遺跡と言うらしい。清水の河内の大石と比べるとインパクトはそれほどない。いやでも比べてはいけない。これはこれでデカ石があちこちゴロゴロしてパワーが出てる感じはあります。木が石にめり込んで木の生命力と長い年月を感じさせてます。ひとりで佇んでいたら後ろから「こんにちはー」と声を掛けられた。ふたりの警察官だった。何も悪さしてないけど何?と思ったらただの観光だった。まぎらわしっ。
駐車場がありましたが、そこから参拝すると、参道を通らず、すぐ、拝殿に出ます。途中、ムササビの森がありました。創祀年代は不詳。 近世までは、正八幡宮と呼ばれていた神社で、祭神も八幡の神々。 当社の近くに、小掘遠州の庭で有名な名勝・龍潭寺があります。当社は、元、その龍潭寺境内にあったらしく、南北朝時代(一説に享保年間)に現在地へ遷座したというが、真偽は不明。 三代実録に「貞観八年十二月二十六日授遠江国正六位上蟾渭神」とあり、式内社・渭伊神社に比定されている古社で、上代より井伊郷三十余村の総社であったといいます。 当社境内には幾つかの境内社があります。まず、参道に天白社。社殿の左手には、英霊社・稲荷社・祖霊社。さらに、本殿周囲には、若宮八幡社、水神社、御鍬社、菅原社。金山社、榊本稲荷社、モロード様伊豆社。当社本殿の後方の丘は、薬師山とも呼ばれ、また、天白磐座遺跡として有名な史跡です。丘には、まっすぐの木立がはえ揃い、いくつもの巨石が転がっています。頂上付近には、古代の祭祀場と考えられる巨石磐座もあり、当社祭祀に関連する宗教施設と考えられています。
ムササビが住む杉の巨木に囲まれた神社です。神社の南には神宮寺川の川堰があり流れ落ちる水音が更に癒し効果を与えてくれています。神社の左手から天白磐座に登る道が有ります。
御朱印は、書き置きですが賽銭箱の近くにあります。近くにムササビの森もあります。
こちらが井伊谷の鎮守の本家。天白磐座遺跡の存在から考えても有史以前から存在したと思われる。
浜松のパワースポットです。木々に囲まれて自然の恵みを一杯浴びることができます。今回、初めて御朱印とお札(セットで500円、無人なので賽銭箱に入れることになってます)を購入することができました。パワーをもらえた気がします。
延喜式927年完成(延長5年)には渭伊神社の記載がある式内社に列した神社。六国史では866年(貞観8年)に蟾渭神が従五位下に昇叙と記載があるように、866年以前には創建されていた歴史ある神社。本殿の背後にある薬師山の天白磐座遺跡からは古墳時代の遺物が検出されており、渭伊神社は遺跡の延長として創建されたとする説もあるが創建不詳です。
駐車場:あり(東側)。御朱印:あり(書置き)。トイレ:あり。境内は手入れが行き届いておりキレイで、人も少なかったので静かに参拝できました。本殿の裏側には、天白磐座遺跡(てんぱくいわくらいせき)があり、巨石が点在する場所となっています。2021年1月訪問。
| 名前 |
渭伊神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
053-522-4720 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
〒431-2212 静岡県浜松市浜名区引佐町井伊谷1150−5 |
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渭伊神社(いいじんじゃ)。静岡県浜松市浜名区引佐町井伊谷。式内社(小)、旧郷社。主祭神:品陀和気命(ほんだわけのみこと)息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)玉依比売命(たまよりひめのみこと)資料によると、創祀年代は不詳。近世までは、正八幡宮と呼ばれていた神社で、祭神も八幡の神々。当社の近くに、小掘遠州の庭で有名な名勝・龍潭寺がある。当社は、元、その龍潭寺境内にあったらしく、南北朝時代(一説に享保年間)に現在地へ遷座したというが、真偽は不明。三代実録に「貞観八年十二月二十六日授遠江国正六位上蟾渭神」とあり、式内社・渭伊神社に比定されている古社で、上代より井伊郷三十余村の総社であったという。彦根城城主、そして後に大老 井伊直弼を排出した井伊家はこの井伊谷の出身。そして、この神社は井伊家の氏神様とのこと。そして、境内近くには天白磐座遺跡(てんぱくいわくらいせき、県指定史跡名称は「渭伊神社境内遺跡」)がある。ここは巨大な石が配置された不思議な場所で、古墳時代から様々な祭祀が行われた場所とのこと。とあります。参考として、社殿後背の薬師山山頂には磐座祭祀遺跡である天白磐座遺跡(静岡県指定史跡「渭伊神社境内遺跡」)があり、発掘調査において古墳時代の遺物が検出されていることから、この天白磐座遺跡の延長として当社が創建されたとする説がある。そして享禄年間(1528-1532年)には、龍潭寺付近にあった八幡宮が合祀されたという。一方、八幡宮と渭伊神社は同一神社であり享禄年間に龍潭寺付近から遷座したものであるとして、渭伊神社は天白磐座遺跡と連続しないとする説も挙げられている。この説では、龍潭寺付近の井戸(伝井伊共保公出生井)を聖井とする「井神社」が本来の性格になると指摘される。また、三代実録に「貞観八年十二月二十六日授遠江国正六位上蟾渭神」とありについて調べると、「蟾渭神(せんみかんじん)」は、遠江国(現在の静岡県)にある渭伊神社の古い呼び名(古名)です。蟾渭神の意味:「蟾(ひき)」はヒキガエルを指し、カエルは雨を呼ぶ水の精霊と考えられていたことから、井戸や井水を祭祀の対象とした神であったと推測されます(「渭」(い)は渭水:澄んだ水)。とあります。