伝説の地、西向天神社隣り。
大聖院の特徴
太田道灌の歌に登場する山吹の里が関連する寺院です。
紅皿のお墓が隣接する西向天神社の近くに位置しています。
大聖院文書には歴史的価値のある古文書が多数存在します。
ここはあの太田道灌の歌で有名な「山吹の里」伝説に登場する娘「紅皿」のお墓がある場所です。七重八重 花は咲けども山吹の 実の(蓑)ひとつだになきぞ悲しき西側には階段の山吹坂があります。お墓は反対側の駐車場です。碑に灯籠、花台などが残っており時代は15世紀末頃と時代も合っています。娘に歌で示唆されておのれの無学を恥じた道灌は江戸城にこの娘(紅皿)を歌の友として招き長らく時を過ごした。一説には側室であったとも。道灌が悲劇の死を遂げた後、紅皿はこれを悲しみ出家、尼として大久保(東新宿)の当地に小さな庵を建てて住み、静かに亡くなりお墓が建てられた、というものです。この説では、山吹の里は現在の神田川沿い、豊島区高田か新宿区西早稲田、山吹町辺りで、・高田には石碑、・水稲荷神社には駒繋の松(道灌が蓑を借りるために馬を繋いだと伝わる松)・山吹町という地名があり、当地とは徒歩20分強の距離です。いかがでしょう、ストーリーが一貫していませんか?他の候補地と比してひときわ具体的です。・埼玉県越生は道灌内の出生地かつ父親の隠居の地・荒川区日暮里は出城があった地・神奈川県六浦は風光明媚で交通の要衝(山吹がたくさん咲く地)ですが、当地ほど具体的な話はありません。1830年代成立の「江戸名所図会」でも高田の山吹の里のことが紹介されており、幕末の歌舞伎でも紅皿伝説のことが取り上げられました。(お墓には歌舞伎役者の名入灯籠あり)事の真相は今となっては不明ですが、少なくとも、そしてどんなに控えめに言っても、江戸の市井で高田、西早稲田から大久保にかけての当地が「山吹の里」と考えられていたことは確実です。(参考までに高田の石碑、西早稲田の駒繋の松写真も載せておきます。)それにしても太田道灌の山吹の里伝説はとてもロマン溢れる、素敵なお話ですね。
西向天神社に隣接する仏教寺院。不動明王を安置するお堂。全く別の宗教施設なのに、なぜか神社の敷地に正面が向いており、石灯籠と浄財箱を設置。なので、参拝するには一旦神社の敷地を通る必要があります。
| 名前 |
大聖院 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
新宿区登録有形文化財 古文書大聖院文書(だいしょういんもんじょ)所在地 新宿区新宿六丁目二十一番十一号登録年月日 平成三年十二月六日大聖院に伝来する古文書・古記録類で、宝暦元年(一七五一)から明治四年(一八七一)におよぶ二巻五冊一葉である。内容は、大聖院と別当寺をつとめていた西向天神の由緒に関するものが多いが、文政七年(一八二四)の「東大久保村地誌書上帳」や境内にある紅皿の碑に関する「紅皿縁起」なども含まれている。点数は少ないが、残存する古文書の皆無な大久保地区にとっては貴重な史料である。平成四年二月東京都新宿区教育委員会。