八咫烏ポストが魅力の神社。
熊野神社(高塚熊野神社)の特徴
賑やかなイベントの日には大きな太鼓が響き渡り、境内が活気に満ちている。
紀州の熊野権現を勧請した歴史ある神社で、平安時代からの信仰を受け継いでいる。
鳥居を北に進み、徒歩5分でアクセス可能な高塚駅近くの魅力的な小さな神社です。
高塚の地名の由来となった場所。地元浜松に生まれたが、この由来はつい最近知ったばかり。由緒書によると、後三条天皇の御代(1069〜1074年)に創建されたとの口伝が残る。紀州熊野本宮の神主が諸国行脚の途中で、この地に祭祀し熊野三社権現と称されたとある。後の神主が、「高い丘を造って人々を救え」との夢の御告げを受け造ったのがこの丘。その後、安政の大地震(1850年代各地で発生した)が起こり津波のため多くの犠牲者を出したが、地元民はこの丘に上り難を逃れた。また、津波によって沢山の人が亡くなったため、この地に浜から砂を運び、高い塚を造って葬ったとの説もある。Xの神社公式ページには浜松の鈴木姓の氏神とある。なお、鈴木姓は古代饒速日命を祖とし、後裔氏族穂積氏の流れを汲む名門であったのだ。
とても神聖な空間です。何度も御参りさせて頂いてます。御神木は圧巻のパワーを感じます。神様へのお手紙は素敵です!また参拝させて頂きますね。
電車の待ち時間を使い参拝しました。高塚駅前にある静かで雰囲気が良い神社です。
今日は高熊市の日でした✨桜🌸も綺麗に咲いていて見頃で良かったです✨
参拝用駐車場もすぐにわかり迷うことなく到着。那智で見つけられなかった珍しい甦守と御朱印を頂き、大満足でした。別社もご利益満載です。
直書きの御朱印いただきました。後三条天皇の延久年間(1069年〜1073年)頃、諸国を旅していた熊野本宮大社の神主によって創建されたと伝えられている。ある時、神主が「高い丘を作って人々を救え」という夢を見たため、神社の裏山に盛り土をした。その後、安政の大地震が発生し津波により大きな被害が出たが、この里の人々は神社の裏山に避難をして難を逃れることができたという。 別の説として、明応地震の津波の犠牲者をこの地に葬り、浜からたくさんの砂を運び、大きな墓を築いた。沢山の砂浜からを運んで(浜垢離の起源)高い塚を築き、高塚の地名の由来となった。1601年(慶長6年): 伊奈忠治(関東代官頭)により黒印地5石目を寄進される。1804年(享和4年): 灯篭を小野田五郎兵衛氏が奉納。1871年(明治4年): 神仏半然令に従い熊野三社権現から熊野神社へ改称。1910年(明治43年): 大字高塚が入野村から浅場村へ編入される。1925年(大正14年)3月 : 村社から郷社への昇格をはじめて申請する。1937年(昭和12年): 灯篭を高橋英一氏が奉納。1940年(昭和15年): 狛犬を稲垣勇太郎氏、浄水鉢を和久田昂が奉納。1941年(昭和16年)4月10日 : 郷社へ昇格。1965年(昭和40年): 灯篭を宮崎達氏が奉納。1966年(昭和41年)5月 : 拝殿を改築。1979年(昭和54年)8月 : 別社改築。1981年(昭和56年)7月1日 : 6級社に指定される。1986年(昭和61年): 手水屋完成。1991年(平成3年): 旧社務所を駐車場新設のため撤去。1993年(平成5年)10月 : 社務所・授与所完成。2007年(平成19年)5月1日 : 浜松市が政令指定都市に移行に伴い高塚町が南区となる。2022年(令和4年)5月29日 : 北参道完成。950年祭を斎行とのことです。
初めて行った神社ですがイベントがあった日で大きな太鼓を沢山の方が叩いていて賑やかでした。神社内にはおみくじや御守りの販売あり駅も徒歩でいける距離なので行きやすいです。
無料駐車場あり、御朱印あり。そんなに大きくない神社ですが、熊野と共通の八咫烏、なぎの木など、直前に熊野に訪問しており、偶然ですが嬉しくなりました。
八咫烏ポストが気になる存在御朱印は月限定含め5種類がある階段はあるが、階段を避けた坂道もある。
| 名前 |
熊野神社(高塚熊野神社) |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
053-448-2288 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
|
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この神社は浜松でもイチ、二をあらそうぼど古い神社らしい、夫婦松や御神木、八咫烏ポストなど見所がいっぱいあるからいいところだよ。