明治初期の庚申塔、道の歴史を深掘り!
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| 名前 |
庚申塔 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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明治初期の庚申信仰と、当時の道筋を同時に伝える、非常に興味深い「道標を兼ねた庚申塔」です。住宅・店舗に接する私有地の一角に静かに立っていますが、現在もお茶や水が供えられ、地域の信仰が途切れず受け継がれていることが分かります。この庚申塔は、側面の銘によれば明治5年壬申(1872)11月の造立です。正面には日輪・月輪と「庚申塔」の文字が刻まれ、台座には庚申信仰を象徴する三猿が表されています。さらに重要なのが、両側面に刻まれた道案内です。小豆沢・浮間の渡し方面、岩淵・川口方面、王子方面、中山道方面への道が示されています。現在は静かな住宅地の細い道ですが、かつては中山道と周辺の村や渡船場を結ぶ、人々の往来に欠かせない分岐点だったことがうかがえます。信仰の塔であると同時に、旅人や地域住民を導く公共の道標でもあったのでしょう。庚申信仰とは、60日に一度巡る庚申の日に近隣の人々が集まり、夜を徹して語り合い、健康長寿などを祈った民間信仰です。庚申塔は、その「庚申待」を行った講の人々によって、祈願や供養の証として造立されました。板橋区内には現在も多くの庚申塔が残り、かつての村落共同体と街道の記憶を伝えています。私が訪れた際には、塔の前にお茶や水が供えられており、単なる古い石造物ではなく、今も誰かが手を合わせ、丁寧にお守りしている「生きた信仰の場」だと感じました。特に微笑ましかったのは、下校途中と思われる小学生たちが塔の前で楽しそうに話した後、最後にきちんと手を合わせてから立ち去ったことです。由来をどこまで知っているかは分かりませんが、地域の子どもたちの暮らしの中にも、この庚申塔を敬う習慣が自然に残っていることが伝わる光景でした。目立つ案内板や大きなお堂はありませんが、150年以上にわたり、道行く人を導き、地域の人々に拝まれてきた石塔です。次に訪れる方は、正面の「庚申塔」だけでなく、側面の古い道案内や台座の三猿にも注目してみてください。