江戸時代の歴史感じる、寛永古鐘!
寛永古鐘の特徴
寛永八年九月に建造された銅鐘が魅力です。
高尾山薬王院有喜寺の隣に位置し、アクセスしやすいです。
江戸時代に再興された立派な旧梵鐘が見どころです。
江戸時代に再興された、梵鐘のようです。
2025.3.15旧梵鐘。江戸時代の初め、17世紀前半の寛永年間(1631年)に鋳造されたものだそうです。
On the East side of the main sanctuary building of 高尾山 薬王院 有喜寺 Takaosan Yakuōin Yukiji Temple and next to the 鐘楼 Belfrey is the 寛永古鐘 Kanei Era Old Bell.
寬永八年九月建之銘の銅鐘。高尾山有喜寺は,戦国時代に小田原北条氏の庇護を受けて発展したが,江戸開幕の前後に火災の被害を受けて,荒廃していた。そのところに,十代目住職の尭秀が江戸前期の寛永の頃までにこれを復興させたという。この梵鐘の鋳造はその復興の時期と被るものであり,実際に鐘の池の間の漢文がこれを伝えている。翻刻】武州高尾山有喜寺者瑠璃光佛之垂跡也仄聞往昔鑄梵鐘以報晨昏不圖遇世不平爲烏有矣今以檀越之衆力陶鎔小鐘而掛筍簴蓋其志雖似童子之聚沙然繼絕興廢之義在此銘曰有喜靈利 瑠璃道場 點離俚俗 安置醫王神德攸感 人民瞻望 爰鑄法器 以守典章華鯨吼月 黃鶴鳴霜 豊嶺秋暮 武陵夜長覺無明睡 促旅客裝 大檀致力 萬歲待芳寬永八年龍集辛未秋九月日私訳】武蔵国の高尾山有喜寺は,薬師如来の垂迹である。少し聞いた話では,その昔に梵鐘を鋳じて,朝夕に(時の鐘を)報じていた。アンラッキーにも世の不条理に遇って,灰塵に帰した。このたび,檀家の多くの力で小鐘を鋳造して,筍簴(銅鐘を掛ける所の名前)に掛けた。思うに,この試みは童子の聚沙(子供が遊びで砂の仏塔を作ること。転じて,その意味も良く分からずに積む小さな善行のこと。)の様なものだけれども,絶えるものを継ぎ,廃れるものを興すという正しさがここにある。ここで詠うに(以下,漢詩略)ここまで】正面にスプレーの落書きがあるのかと思ったが,良く見ると墨書きの崩し字であることが分かった。「武蔵国?南多摩郡散田村川原之宿」とあるか。おそらく,この鐘の鋳造に散田村川原之宿の人々が関わったのだろう。(関わりの仕方は定かではない。お金を出したか,奉納したか,運搬したか……)
| 名前 |
寛永古鐘 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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立派な鐘です。