屏風岩の絶景、登山で心満たす。
船上山の特徴
隠岐の島を脱出した後醍醐天皇が過ごした歴史ある山である。
東側には屏風岩と呼ばれる絶景の断崖が広がっている。
山容が船の底のように見えるのが特徴の標高615mの山です。
船上山(鳥取県東伯郡琴浦町山川)標高615〜687メートルの山で、東側に広がる「屏風岩」と呼ばれる巨大な柱状節理の断崖絶壁が絶景、山容が船の底のように見えることが名前の由来となった。1333年に隠岐を脱出した後醍醐天皇が名和長年に奉じられて立てこもり、鎌倉幕府打倒の起点とした「船上山の戦い」の古戦場・行宮(あんぐう)跡として国の史跡に指定されています。後醍醐天皇は流刑されていた隠岐島を脱出し御来屋(みくりや)港に漂着。漂着した天皇を迎え入れたのが、地元の豪族であった名和長年で、長年は天皇を保護し、天然の要塞である船上山へと奉じ、挙兵した。後醍醐天皇の脱出を知った鎌倉幕府(隠岐守護・佐々木清高ら)は大軍を率いて船上山を襲撃したが、名和軍はわずか150騎ほどで、白布に近国武士の紋を描いて大軍に見せかける心理戦を展開した。激しい暴風雨を利用して幕府軍を奇襲し、撃破した。この勝利により、後醍醐天皇は船上山に行宮(あんぐう 仮の御所)を設置し、ここから全国の武士に向けて討幕の綸旨を発したことで、足利尊氏や新田義貞といった有力武将たちが次々と呼応し、わずか数ヶ月後に鎌倉幕府は滅亡へ。天皇は約80日間をこの山で過ごし、京都へと帰還。東坂登山口(行宮案内板有)の道路沿いの無料駐車場から船上山へ。途中船上山の断崖の柱状節理と笹の緑、枯れ木が絶妙で後醍醐天皇が京都へと帰還するさいに休憩された駕籠立て場もある。あとは林道過ぎて景色が開けた平坦地で船上山行宮石碑を通過して寺坊跡、船上神社まではよかったが肝心の船上山行宮跡は神社と勘違いしてしまい見逃してしまった。なお後醍醐天皇は隠岐からの脱出では西坂登山口ルートを通過したのこと。東坂登山口から船上神社まで約50分でした。
休日に家族で行きました。駐車場が広めに整備されているので、車で行っても停めやすくて安心です。ちょうどぼたん桜が満開の時期で、あちこちで綺麗な花を見ることができました。道もしっかり整備されていて、登山というよりは散策に近い感覚で歩けます。足元が悪くないので、午前中の軽い運動にはちょうどいいかもしれません。少し登った場所から船上ダムを見下ろせるのですが、そこからの眺望はなかなか良かったです。歴史的な案内板などもいくつかありましたが、全体的に派手な観光地というよりは、落ち着いた自然公園といった雰囲気です。大きな売店や派手な施設があるわけではないので、飲み物などは事前に準備して行くのが無難です。静かに景色を楽しみたいときには良い場所だと思います。
標高615m。1200年前に智積仙人が開山したと云われています。大山や三徳山と並ぶ伯耆三山の一座で霊山として栄えた過去がある。低山ながら100mを超える柱状節理の屏風岩や山頂付近の船上神社、千丈滝など見所の多い山です。最も東に位置する登山口から山頂まで約1.6km、35〜40分程度。序盤は坂道だが千丈覗きの広場辺りからは緩やかになる。整備はされているので子供や初心者でも登りやすいと思います。頂上を探したのだが明確な場所は見つからず。地図上では笹薮の中になっており展望は無い感じです。入口から約300m、5分ほど進んだ所で探勝道との分岐がある。健脚者向きで、こちらから進んでも正面登山道に合流し山頂へ到達できます。左側が斜面になっているので少しスリルはありますが登山道より景色は良く、目下に船上ダムが見えます。正面登山道までの途中にはボルトルートのクライミングスポットがある。また正面登山道に入らずそのまま進んで行けば千丈滝、さらに進めば一枚岩渓谷や鱒返しの滝まで道は続いています。山頂までなら服装は動きやすい物を。靴はスニーカー程度で問題ない。探勝道に入るなら軽登山靴がオススメ。駐車場あり。停め方次第で15台ぐらい可能なスペースです。トイレは千丈覗きの近くにある休憩小屋にあります。
隠岐の島を脱出した後醍醐天皇が1333年2月から5月までの80余日を行宮として過ごされた山で、山名の由来は「屏風岩」によって山容が船の底のように見えることからと言われています。主な登山ルートは東坂と西坂(そのほかに鱒返しの滝方面からのルートもあります)からのものですが、ほとんどの方が駐車場が整備されている東坂から登られます。近年は船上山を経由して勝田ヶ山~甲ヶ山~矢筈ヶ山への縦走ルートも人気です。
| 名前 |
船上山 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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眺望無し登山道は良好。