由緒ある国坂神社、神池の癒し。
國坂神社の特徴
御祭神は少彦名神で、由緒ある神社です。
相当な勢力を誇る式内社として知られています。
神池の水草を煎用した疫病治癒の伝説があります。
国坂神社(くにさかじんじゃ)。鳥取県東伯郡北栄町国坂。式内社(小)、旧郷社。【祭神】少彦名尊資料によると、創建年代は不詳、鎮座の次第も伝わっていない。御祭神は少彦名神。ただし、諸説あり、異表記を含む大国主神・事代主神・彦坐王などの名が挙がる。彦坐王が異色だが、日下部氏の祖神で、当社は「くさか」と読む場合があり、当地や当社も日下郷にちなんだものとの根拠からか。神階は、承和4年(837年)に従五位下、斎衡3年(856年)に正五位下、貞観9年(867年)に正五位上を叙位されている。この神階授与は因幡、伯耆両国を通して、伯耆神(現 波波伎神社)、大山神(現 大神山神社)とともに最も古く、当地方で最重要視された神社であることを証明している。『朝野郡載』白河天皇承暦4年(1080年)6月10日の神祇宮謹奏に、社司が神事を穢したとして中祓を科せられている。また、後世には武将の崇敬も篤かったようで、『鳥取県神社誌』神社明細帳には、 「大永年間茶臼山の城主増田玄蕃当社再興の與あり」とある。これは 「大永の五月崩れ」と呼ばれる出雲の尼子経久による当国侵入の時に、 当社が衰退したことによると考えられ、大永4年(1524年)以降のこととされる。江戸時代は四宮明神・四宮大明神と称していた。伯耆国四宮とされる場合もあるが、伯耆国は三宮までで四宮以降は不詳とされる場合が多い。『延喜式』神名帳伯耆国の四番目の記載社のためとされる。ただし、伯耆国二宮は、『延喜式神名帳』伯耆国の六番目、最後に記載されている大神山神社。明治元年(1868年)に現社号に改称して、郷社に列し、明治40年(1907年)2月3日には、神饌幣帛料供進社に指定された。例祭は10月15日。3月あるいは4月8日には薬草祭という神事が行われている。茶臼山から薬草を採って、9日未明に海辺に持ち出して清め、その後参詣人に分かち与える。また、当社東の「御手洗池」と称する神池に群生するジュンサイ・コウホネを煎用すれば、疫病・難病に霊験があるとする伝承もある。境内社に荒神社・八幡社・秋葉社がある。とあります。
shrine in hojo town
御祭神 少彦名神式内社で郷社相当な勢力を誇っていたのがよくわかる前面の神池の水草を煎用して疫病が治癒したという言い伝えがあるという。周囲がかつて海だった頃は北側から来る船からよく目立ったであろことがうかがえる。神饌幣帛料供進神社氏子戸数 百五十三戸(鳥取県神社誌)
| 名前 |
國坂神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0858-36-2167 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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