火災の守り神、壱岐天手長男神社。
壱岐天手長男神社の特徴
東武東上線の男衾駅と鉢形駅の間に位置している神社です。
火災の守り神として地域の代表者が毎年お参りしています。
ありがたいお札を頂くために訪れる方が多いです。
その年の郭の年番がお札をもらいに行きます いつの時代から始まったかは不明。
妙義神社へ行く途中にナビに!今月初めに行った壱岐の天手長男神社が埼玉にあるとは!思わず向かってしまいました。摂社等、大切にお祀りされています。素敵な空間でした。
東武東上線の男衾駅と鉢形駅の真ん中の線路沿いにあります。「いきあめのたながお」と読むそう。大昔に長崎の壱岐島から来た宮司さんが建てたようです。神楽殿があるので昔はここで歌舞伎なんかを演じたのかも。
ありがたいです。
お札を頂きに行って来ました。
住んでいる地区に昔、火事が起こり、その際、火災の守り神様として、ここに毎年、代表者がお参りしてます。火事が起きたのは、50年以上も前のことであり、それ以降、近所で火事も起きておらず、ずっと、ずっと、今でも、正月に御札を貰うのが続いております。
| 名前 |
壱岐天手長男神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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壱岐天手長男神社(いきあめのてながおじんじゃ)。寄居町小園。旧社格は村社。主祭神:「天忍穂耳尊」「天手力男命」「天鈿女命」の3柱。・天忍穂耳尊:ニニギの父神、稲穂の神、農業神。・天手力男命:腕力・筋力の象徴、力の神、スポーツの神。・天鈿女命:巫女の元祖/神楽舞の名手、芸能の神、猿田彦の妃神、家庭円満、厄除の神。資料によると、荒川右岸の段丘上に位置する小園の地は、武蔵七党の猪俣党に属した尾園氏の所領に比定されている。開発の年代は明らかではないが、石田家と松村家の先祖によって行われたとの伝えがある。口碑によると、当社は、石田家の先祖がこの地に土着した折、かつての在所であった壱岐国石田郡(現長崎県壱岐郡郷ノ浦町)に鎮座する壱岐国一ノ宮天手長男神社より勧請したことに始まる。「手長」の意味は『宗像大菩薩縁起』に「異国征伐ノ御旗竿也」とある。流造り見世棚の本殿には、勧請時に壱岐国から移したと伝える自然石を奉安している。宮司の先祖が壱岐国石田郡(長崎県壱岐郡郷ノ浦町)よりこの地に土着した折に、壱岐の天手長男神社より勧請したものと伝えられているそうですが、同町宗像神社同様に地理的にも遥かに遠い壱岐島と埼玉県寄居町が、神社で結びついている不思議な関係がある様です。また、天手長神社は寄居町地域や深谷市萱場地方にもあり、別名天手長男神社として境内社、末社まで含めると埼玉県北部には思った以上に存在している。とあります。参考として、壱岐国石田郡に鎮座する壱岐国一ノ宮天手長男神社より勧請したことに関して、そちらの神社を調べて見ると、元寇により廃れてしまい、所在も不明となっていた過去があり、現在、壱岐国一宮の天手長男神社に比定されている社がその式内社かは確証は薄く、壱岐国一宮後継社となっていて、再建された社殿も質素になっています。そのことから、こちらの宮司家の先祖が壱岐国石田郡よりこの地に土着(移住)した折に、壱岐の天手長男神社より勧請した事や、この辺り小園の地は、壱岐国石田郡よりこの地に土着(移住)した石田家により開発された事など、遠い過去が思い偲ばれます。尚、石田家については、その祖先は五十日足彦命(越国:北陸地方を開発)で、垂仁天皇の皇子であるとあります。創建時期について考察すると、主祭神の一柱ではありますが、天之手力男命は天八意思兼命(アメノオモイカネ)の子供であり、知々夫国造(ちちぶのくにのみやつこ)の先祖とされる天下春命(あめのしたはるのみこと)と兄弟とされています。当社は、宮司の先祖(石田家)が壱岐国石田郡(長崎県壱岐郡郷ノ浦町)よりこの地に土着した折に、旧在所で祀っていた天手長男神社より勧請したものと伝えられていて、移住して当社を創建した事には、この地の国造の知々夫国造との関連が考えられるので、国造の時代想定で4世紀前後と考えられます。また壱岐国一ノ宮天手長男神社のある丘陵地のところに、こちら寄居町と同名の、「鉢形城跡」があり、地名の上でも「鉢形」が共通するのは、知々夫国造の関与を考えずにはいられません。