和田義盛の愛を感じる秋谷寺。
正行院の特徴
横須賀市秋谷に位置する歴史ある浄土宗の寺院です。
和田義盛の妻、巴御前の頭髪が埋葬されている場所と伝えられています。
本堂内部は自由に参拝でき、整備が行き届いた境内が魅力です。
正治元年(1199)に鎌倉幕府初代侍所別当和田義盛が妻巴御前(元は源頼朝の政敵であった木曽義仲の愛妾であり女武者とも伝わる。後に和田義盛の妻となったとするのが当寺の寺伝。史実は詳らかではない。なお、近くの浄楽寺にある運慶仏から、和田義盛の妻(正妻)は小野氏であったことが判明している)の菩提を弔うために建てたとされる。当初は乗越海岸にあったが、明応7年(1499)に現在地に移転した。大きな本堂と立派な庫裏からなる。本堂内には阿弥陀三尊・薬師如来・閻魔大王・十二神将などの仏像が安置されており、仏像の種類・数が多いのが特徴的である。
和田義盛が妻である巴御前の菩提寺として1199年に建立したのが始まりとされています。
鎌倉幕府、侍所別当の和田義盛が正治元年(1199年)に妻の巴御前の菩提寺として秋谷の乗越海岸に建立したのが始まりとされているようです。本堂内には閻魔像や十二神像が祀られており、見どころ満載でした。御朱印も書き置きでしたが気持ちよく戴くことができました♪
三浦地蔵尊二十番札所。十九番札所と近接しているので葉山方面へ歩きます、下り坂なので此方から巡拝した方が、気持ち楽ですね。最寄りバス停は、「前田橋」になります三浦方面からだと「浄楽寺」の次のバス停です。前田川遊歩道へ向かう道へ入り、前田川を渡り上り坂を歩いて10分掛からないと思います、左側にお寺が見えてきます。お地蔵様は、本堂内御本尊の左側におられます。その前に、同じく左側に居る閻魔様にもご挨拶をしていきます、コワイのですココの閻魔様。
横須賀市秋谷、浄土宗 紫雲山 秋谷寺 正行院。鎌倉時代の正治元年(1199年)、NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場した御家人で武将の和田義盛公が、妻である巴御前の菩提寺として乗越海岸に建立したのが始まりとされ、巴御前の遺髪が埋蔵されていると伝えられる。明応7年(1499年)に現在地に移転した。三浦薬師如来霊場第17番札所。
和田義盛が妻である巴御前の菩提寺として建立したお寺で、寺内にある樹木のもとには、巴御前の頭髪が埋葬されてたと伝えられています。巴御前と云えば、義仲の平家討伐に従軍した女武者として名高い女性ですが、木曽義仲と和田義盛の二人を弔うため出家したとの伝説が残されており、その伝説が残されたお寺でこちらになります。巴御前の頭髪がどこに。。。とか記す碑はないのですが、思わず頭が垂れる思いになります。木曽義仲の愛妾、義仲の嫡男義高の母?、さらには和田義盛の妻となり朝比奈義秀を産み??と幾つもの伝説がありますが、出家した後91歳まで生きたと伝説もあり、少し心が軽くなります。
和田義盛が妻である巴御前の菩提寺として建立したお寺で、寺内にある樹木のもとには、巴御前の頭髪が埋葬されてたと伝えられています。巴御前と云えば、義仲の平家討伐に従軍した女武者として名高い女性ですが、木曽義仲と和田義盛の二人を弔うため出家したとの伝説が残されており、その伝説が残されたお寺でこちらになります。巴御前の頭髪がどこに。。。とか記す碑はないのですが、思わず頭が垂れる思いになります。木曽義仲の愛妾、義仲の嫡男義高の母?、さらには和田義盛の妻となり朝比奈義秀を産み??と幾つもの伝説がありますが、出家した後91歳まで生きたと伝説もあり、少し心が軽くなります。
JR逗子駅出て直ぐ左2番バス乗場永川や横須賀病院方面に乗って14番目前田橋停留所を降りて左に川を渡り道なり右側に少し登ると駐車場ありその奥。都内から1時間30、1550位ですが不調で車酔い4つ目で降りて歩いたのは4.7km90分掛りました。正行院、1199年和田義盛公が妻であった巴御前の菩提寺として秋谷の乗越海岸に建立、巴御前の頭髪が埋葬されており現在の本堂は1659年再建されたものとか現在は鎌倉殿の13人と和田義盛幟が立っていました。
本堂内部は自由に参拝でき開かれたお寺の印象。じっくり見てますと数々祀られています。😲御朱印は二種類あり本尊様と立石不動様になります。御住職さんの落ち着いた雰囲気も安心です。🙏
| 名前 |
正行院 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
046-856-8216 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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紫雲山秋谷寺正行院といい浄土宗のお寺で、御本尊は阿弥陀如来になります。本堂内には他に薬師如来像・閻魔大王像・十二神将像が安置されています。鎌倉幕府の有力後家人(侍所別当)であった和田義盛が亡き妻の菩提を弔うため正治元年(1199年)に建立したと伝わります。伝承では和田義盛の妻は木曽義仲の愛妾で後に義盛の妻となったという伝説がある巴御前でその菩提寺であると伝わり、境内に巴御前が寄進したと伝わる「輪形石」など二人の歴史を物語る遺構が大切に保管されています。明応七年(1499年)鎌倉光明寺第九世の観誉祐崇上人が現在地に移しました、その後寛永十七年(1640年)に近隣からの類焼により本堂を焼失したが万治二年(1659年)に本堂を再建しています。