菅原道真が参拝した神社。
大将軍社の特徴
大将軍社は、八衢比古神や八衢比売神を祀る神社です。
大阪天満宮の創建よりも古い650年の歴史があります。
菅原道真公が大宰府へ向かう前に参拝した神社です。
大阪天満宮の大将軍社(たいしょうぐんしゃ)は、本殿の北西に位置する末社で、方位と厄除けの守護神として信仰されています。平安時代、都の四方に「大将軍神」を祀ることで災いを防ぐ風習があり、この社もその流れを汲んで創建されました。大将軍神は陰陽道における方位神で、凶方からの災厄を退ける力を持つとされます。社殿は小規模ながら重厚な造りで、厄除けや方除けを願う参拝者が多く訪れます。特に引っ越しや新築、旅行などで方位を気にする人々から厚い信仰を集め、天満宮の守護として重要な役割を果たしています。大阪天満宮の境内にある小さな神社。菅原道真が参拝された由縁から創建されたそうです。
大将軍社は方位神を祀る神社で、王城鎮護を目的として建立されます。こちらの大将軍社は難波宮(645-793)の西北を護るとされており650年に創建。祭神は、八衢比古神・八衢比売神・意富加牟豆美神・久奈斗神で、このうち意富加牟豆美神以外の三柱は塞神(道祖神、岐の神)で、まさしく邪鬼を交通整理(=コロナ禍における県境またぎ制限に類似)するもので道饗祭斉行においてお祀りされます。一方、意富加牟豆美神は「桃の実」であり、桃の実を投げつけることによって鬼や雷神を退散させたという日本書紀にみられる記述に基づくもの。中国では桃は呪力をもち、道教では不老長寿の仙果ですが、五行説によれば「桃」は「五果」のうち「金」に、「雷」は「八卦」の「木」に配当されるので、「金剋木」という「相剋」関係に基づいて、桃が火雷神を退散させるという効力をもつとされています。後の949年に同地に創建される大阪天満宮の祭神である菅原道真は、讒言によって憤死に至り、次第に火雷神と習合してゆくわけですが、このあたりが意富加牟豆美神の存在と重なってきているように思われ、たいへん興味深いところです。
大将軍社祭神は八衢比古神(やちまたひこのかみ)、八衢比売神(やちまたひめのかみ)、意冨加牟豆美神(おおかむづみのかみ)、久那斗神(くなどのかみ)。難波長柄豊崎宮の陰陽道による西北の鎮めとして建立。2024.06.19.(水)参拝。
普段はあまり気になりませんが大将軍社前の木が大雨の中昇り龍として生き生きしているような登龍門の向かいにあります。運気上昇(≧∇≦)b
普段はあまり気になりませんが大将軍社前の木が大雨の中昇り龍として生き生きしているような登龍門の向かいにあります。運気上昇(≧∇≦)b
☆「大阪天満宮」境内北西に鎮座する『大将軍社』650年(白雉元年)難波長柄豊崎宮に都を造営、北西を守護する神として大将軍社を祀り鎮座、350年後の平安時代901年(延喜元年) に菅原道真公が大宰府へ向かう途中に大将軍社を参拝したのが由縁🚶道真公の亡くなった約50後の949年(天暦3年)に当時の村上天皇の勅命で大阪天満宮建立し菅原道真公の御霊を祀り、信仰篤く千数年の時を超え崇敬されているとは、元は大将軍社が発祥の地なんですね🤔
大阪天満宮、始まりの神社っすね。
大阪天満宮の境内の西北にあり、天満宮よりも250年も前の白雉3年(650年)に創建されたと伝えられています。菅原道真が太宰府に左遷された昌泰4年(901年)、ここに参拝したという由来があるため、大阪天満宮が天暦3年(949年)に創建されたといいます。
京都には四方を守るため四ヵ所ある大将軍社、大阪にも有るんですね🎵
| 名前 |
大将軍社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
06-6353-0025 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 6:00~18:00 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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「大将軍社」は、大阪天満宮の境内にある小さな神社で、地元の人々からは親しみを込めて「大将軍さん」と呼ばれています。この社は、天神さん(菅原道真公)を中心とした学問や勝運の守護と並んで、魔除けや方位除けのご利益でも知られています。