武田勝頼の本陣跡へ冒険!
武田勝頼観戦地の特徴
武田勝頼が布陣した設楽原合戦地、隠れた歴史が魅力です。
観戦地周辺は竹や樹木が生い茂り、静かな雰囲気が漂います。
入り口が分かりにくいが、案内看板が役立つ情報を提供しています。
設楽原の戦いで武田勝頼ご本陣をおいた地。現在は森の中にあり、周辺を見渡すことはできないが、武田勝頼が織田、徳川軍と相対した時、この地から戦いを眺めていたと想像を巡らすことができる。ここから山を降りていくと馬防柵のある戦場跡までいくことができる様子。
入口から結構歩くが旗を頼りに行けばそのうちつく。道中舗装はされていない、砕石敷だが落ち葉が積もっている箇所がある。段差や急な坂は無い。
入り口が分かりにくいためGoogleMAPを頼りに見つけたが武田勝頼が布陣したとされる場所合戦地は樹木が生い茂り見ることができないが藪もなく見学しやすい。
入口がとても分かりづらいです。Google Mapの「開帳 信玄 準坂東 第十六番札所 庚申堂」の向い側近くに細い道があります(案内板が立っています)。そこから処々に立っている案内に従って進むと、およそ10分ほどで到着します。こちらは長篠・設楽原の戦いで武田勝頼公が本陣を置いた場所です。最初の本陣は長篠城に近い医王寺でしたが、決戦のため清井田の本陣を移し、最後のこちらの才ノ神で決戦を迎えます。しかし現在は林の中で木が生い茂っていることから見晴らしは悪く、合戦場を見渡すことは出来ません。当時は木が切り倒されていたのでしょうか?道中の道は整備されており行きやすいので、合戦場方向の木を伐採してみると良い観光名所になるのではないかと思います。
入口さえ分かれば、案内の看板がずっとあるのでたどり着けます。入口は東郷東小学校近くにある『開帳 信玄 準坂東 第十六番札所 庚申堂』の向かい側になります。庚申堂に車を停めて行けます。
☆「設楽原の戦い」時の武田勝頼本陣☆①長篠城包囲戦の本陣は現在の医王寺山陣城。②織田徳川連合軍、岡崎城出撃し連吾川西側の弾正山周辺に展開、武田勝頼即応し本陣を清井田に進出。武田古参武将4人、勝頼に撤兵を進言も聞き入れられず山県昌景、馬場信春、内藤昌豊、土屋昌次、清井田で決死訣別の盃を交わす😢③織田・徳川勢との決戦に向け『才ノ神本陣』に前進着陣、眼下に連吾川、見た事のない2㎞に渡る馬防柵、左手に弾正山/徳川家康本陣、右手に織田勢/丹羽長秀・佐久間信盛が着陣、武田勢南北に翼の様に展開し左翼に山県昌景・内藤昌豊・原昌胤ら、右翼に真田信綱・土屋昌次・馬場信春ら、中央は武田一族衆の布陣🐎今は樹木が生い茂り全く景観ありません、樹木がなければ戦場一望、自軍の武田最強騎馬隊の壊滅と次々戦場に倒れ行く武田家武将、勝手に撤退する武田親族衆、武田家の崩壊を目の当たりにした武田勝頼何を思う🥺☆駐車場は庚申堂前に無料の駐車場の看板あり、そこからは案内看板通りに徒歩10分、少しでも目の前の樹木が伐採されていたら景観違うのにと少しガッカリ😵⤵️
設楽原資料館に行く途中で偶々、見つけて寄り道しました。竹林に囲まれて京都の嵯峨野を思い出しました。
大変分かりにくい場所にありますが、行く時は覚悟してください。行きの道をしっかり覚えて同じ道を帰ってください。ショートカットしようと考えてはダメです。さもなくば、山から降りられなくなります。小さい山ですが、あそこは何かがあります。あと、登る時には木の枝必須。気を抜くと顔面に蜘蛛の巣を喰らいます。
根津月直と根津家被官の須藤豊後守、土屋助丞などの墓石が、同族真田信綱、昌輝一族の墓石の場所是非行ってみたいです。
| 名前 |
武田勝頼観戦地 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
立ち位置はここしかなかったと思える。今の世の航空写真を見ても。甲州は牧原という地名があるように朝廷に献上するほど馬を多く育てている。馬の数は武田軍が圧倒的に多い。が、鉄砲と玉と火薬の量は圧倒的に連合軍だ。勝頼には、未経験の銃撃戦の想像より、子供だましの柵を押し倒して混乱を生むいつもの騎馬戦が能裏に浮かぶ。一発目の銃声を聞く所までは、勝ったと思っていた筈だ。ただ、銃声は途切れる事なく続いた。想定外の領域に入る。とにかく、鳶ヶ巣山砦を失った事がこの山への動座につながり、退路は長篠城方向が塞がれているから出沢方向を取らざるを得ないことになる。そしてそれが「人は石垣、人は城」の神将たち全てをしんがり軍のようにして、落命させてしまう。信玄の遺言には「勝頼を屋形同然と思へ」とある。忠臣達は、御屋形様を守らねばならなかった。 訪1中旬。