南房総市の安馬谷八幡神社。
安馬谷八幡神社の特徴
田んぼの中にひっそりと佇む無人の神社です。
御祭神は誉田別命、国府近くの創建です。
鎌倉時代に社号を八幡宮へ改号しています。
南房総市にある安馬谷八幡神社⛩️です。東光山福性院の隣りにあります。こちらも波の伊八作品を求めて訪れました。御祭神は誉田別命です。創建については、元禄年間に別当寺であったお隣りの福性院が火災になり、古文書等一切が焼失してしまったので不明ですが、口碑によれば、宝永6年(1709)に社殿が再建されたと伝えられています。向拝と木鼻は三代目伊八の作品と言われています。刻銘には名前はありませんが、嘉永四年と刻まれています。こちらの神社には駐車場がありません。私は福性院で伊八の彫刻と後藤義光の彫刻を見た後、車を移動してしまいましたが、福性院の駐車場に停めたまま八幡神社を訪れた方がいいでしょう。
田んぼの中にある無人の神社。隣の福性院を参拝したついでにこちらにも参拝。親狛犬?が子狛犬?を押さえている珍しい形の狛犬がお出迎え。木鼻の獅子もどことなく可愛らしい。拝殿隣に龍神社。
| 名前 |
安馬谷八幡神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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誉田別命(第15代・応神天皇)を御祭神とする神社で、平安時代(794~1185年)初期に安房国総社として国府近くの安房国安房郡(現・南房総市府中)に創建されたのが始まりとされ、鎌倉時代(1192~1333年)に入ると総社信仰が衰微、代わって源氏が八幡神を氏神として崇敬する八幡神信仰が高まったことで、社号を八幡宮へ改号して現在地に遷座したと伝えられています。江戸時代前中期の元禄年間(1688~1704年)には、隣接する当社別当時の東光山福性院で発生した火災延焼により古文書等一切を焼失、そのため由緒が詳らかでありませんが、江戸時代中期の宝永6(1709)年に社殿が再建されたと伝えられています。本殿向拝の龍・木鼻(獅子)の彫刻は、刻銘が確認できないものの、その作風から『三代目・波の伊八』こと武志伊八郎信美(1816~1889年)が江戸時代後期の嘉永4(1851)年の時の作品と考えられ、境内社として、明治時代(1868~1912年)以降に地域の五穀豊穣を願い、氏子一同の浄財により創建されたと推定される龍神社(御祭神:高龗命)が鎮座、明治維新後の近代社格制度において郷社に列格された大瀦郷(現・安馬谷周辺)地区の氏神です。他境内に昭和44(1969)年再建の二の鳥居、昭和48(1973)年建立の手水舎、昭和30(1955)年再建の一の鳥居は、二の鳥居の東方約180m(徒歩3分)水田内畦道に建立され、二の鳥居付近から東方に見渡すと水田内に目視できます。毎年3月3日に行われる御神的神事は、源頼朝(1147~1199年)が天下泰平を祈願して流鏑馬を行ったことに由来し、頼朝の崇敬厚い当社でも流鏑馬を奉納したことが始まりとされ、『安馬谷八幡神社の御神的』として南房総市無形民俗文化財に指定されます。当時は天下泰平・五穀豊穣を祈願し、当社二の鳥居直道の参道(一の鳥居方向)より、古式のとおり馬上から矢を射っていましたが、ある年にその矢が誤って見物人に当たる事故があり、現在のように境内歩射になったとされます。隣接する東光山福性院とセットで参拝(詣)しました。