南九州の歴史と遊び場、伊集院城!
一宇治(伊集院)城跡の特徴
戦国時代の英雄、島津貴久公を感じる歴史的なスポットです。
南九州型山城の曲輪や土塁の遺構が見事に残っています。
眺めの良い展望台や遊具があり家族で楽しめる公園化した施設です。
桜の季節の平日、たくさんの方がいらしたので駐車場に停めるため少し待ちました。勾配があり、階段やスロープが設置されています。ぐるっと一周するといい運動になります!伊集院の街を一望できて素敵な所でした♪
一宇治城は広い無料駐車場を持つ城山公園として整備されている。草木も刈られ非常に見学しやすい。反面、車道の取り付けなどで改変された部分も多く、周辺の山城に比べると城址らしさは薄れている。一宇治城は大小30余りの曲輪から構築されている。各曲輪の独立性が高い南九州型(群郭式)城郭であるが、空堀の高さは常識的な範囲で一般の山城に近い印象を受ける。遺構としては空堀、横堀、切岸、井戸跡などが確認できる。本丸にあたる神明城には展望台があり、そこからの眺望は非常に良い。一宇治城は島津貴久がフランシスコ・ザビエルと面会した地であり、ザビエル関連の碑文などもある。一宇治城は鎌倉時代に島津氏系の伊集院氏によって築かれた。その後、伊集院氏は時に島津宗家と対立するなど強勢を誇ったが、室町時代に島津氏によって伊集院は追われ島津氏の城となった。江戸時代の一国一城令の前後に廃城になったと思われる。
早咲きさくらが葉桜になってました。景色はバッチリ。
いちうじ城約900年前、紀四郎時清が築城したが4代時忠で絶え、島津氏の一族伊集院久兼が城主となる。元寇で防戦した久親・忠親親子は神恩に報いて神明神社を建て、ゆえ144mの最高所の城(曲輪)を神明城とよんだ。後、天文5(1536)年、島津貴久が在城、子の義久、義弘、歳久もここで育った。1549年ザビエルが布教許可のため貴久を訪ねた。14年後、貴久は鹿児島本城へ移る。5年前(2020年)訪城しました。公園化されていて城から桜島が見えて感動、広い無料駐車場ありました。
島津日新公,島津貴久親子の居城でした。元々は伊集院氏の居城でしたが、島津父子により奪取されました。一国一城令により廃城になりました。今は市民の憩いの場になっています。ただの公園かと思いきや、大小50もの曲輪が残る立派な城跡でした。また思う。何故?こんな立派な城跡が続100名城に選定されなかったのだろう?知覧城の100倍は素晴らしいと思うのだけど。城郭委員会の皆さんは何を基準に選んでいるのか謎である。島津義弘縁の妙円寺参りもあるし、歴史的にもこちらが格式が上ではないか?駐車場も広く、トイレも2ヶ所あリます。伊集院駅からも近いので城好きな皆さんだけでなく、遊具や草スキーも出来るミニ公園もあリます。お子様連れにも良い環境で素晴らしい城跡でした。
コロナの為2年越しでやっと鹿児島の城巡りに来られました。台風11号も過ぎ去り、今日2日目は雨のち曇りですが、風がないので傘さして巡れそうです。まず、一宇治城を訪問しました。一宇治城は伊作島津家から相州家へ養子に入った忠良(日新斎)の子貴久(島津宗家第14代勝久の養子、第15代宗家当主)が、1549(天文18)年フランシスコ・ザビエルと会見し、島津勢力圏でのキリスト教の布教を日本で最初に許可したところです。但し、後の大友氏や有馬氏のようにあまり熱心ではなかったようですが…。城跡には記念碑や説明板があります。尚、忠良・貴久が永吉城(南郷城)*から入城したのは1536*(天文5)年で、1550(天文19)年に鹿児島内城を築いて移るまで、薩摩・大隅・日向三州統一の拠点としました。*案内版には1540年頃相州家島津氏(忠良・貴久)が吹上町(永吉城)から移り住んだとありますが、年代も前後するし、伊作城から入城という説もあり、スッキリしません。因みに、一宇治城は現地案内板にもあるように、鎌倉時代の初めには紀四郎清時の居城でした。その後鎌倉時代後期に島津宗家2代忠時の7子忠経の4子俊忠が日置郡伊集院の地頭職となり、伊集院家が起こったようです。伊集院家は島津宗家と何かともめる家であり、島津宗家9代忠国によって一宇治城から追放され、その後、城は宗家の支配下に置かれたようです。
戦国時代の英雄!島津義弘!この地で島津本家として青年期を過ごされたようです。また、ザビエルが接見した場所でも有名。イエズス会の布教活動の中で、他に見ない薩摩の勇猛果敢な様子を見て感銘しただろうと想像します。息子を口説き、夏休み自由研究で島津義弘をテーマに回ってます。
曲輪、土塁の遺構もあればアスレチックス、展望台(工場中)及び駐車場などもあるなど公園化しています。そのため、手軽に楽しめる中世山城となっています。島津氏の居城で鹿児島城に拠点を移すまでは、中心に薩摩・大隅を平定しました。当時の鹿児島の中心だった場所になります。
🍀戦国時代山城で鉄丸山、島津貴久公1549年フランスシスコザビエルを案内して故郷、鹿児島に着く。平和と愛の教え 公園になっている。🍀
| 名前 |
一宇治(伊集院)城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
☆1536(天文3年)に島津忠良(日新斎)・貴久親子が伊作城から居城を一宇治城に移し、1550年(天文19年)に「内城」へ拠点を移すまでの間の伊作島津家の居城、一宇治城を拠点に1545年(天文14年)「島津家中統一」薩摩国・大隅国・日向国3カ国の太守となった15代当主『島津貴久』⚔️☆一宇治城は南九州特有の「群郭式」で大小30ほどの曲輪に分かれ独立する構造、面白いのは曲輪に「城」と名前に付くところ、城の中心=本丸は「神明城」、城郭として見ると空堀に切岸、土塁・虎口らしき跡、小さい数々の腰曲輪や帯曲輪と『土造りの城址』広い城域を見て回るのも面白い🏃☆本丸の「神明城跡」に「サビエル会見の地」の記念碑、1549年(天文18年)に島津貴久とフランシスコ・ザビエルが対面した場所、国内の戦国大名が初めてザビエルと会見した地に『太守島津貴久 聖師ザビエル會見の地』の銘文。※戦国大名「大友義鎮(宗麟)」が豊後国「府内城」でザビエルと会見したのが2年後の1551年(天文20年)