竹林に囲まれた静寂の高畠陵。
伝高畠陵古墳(桓武天皇皇后陵)の特徴
桓武天皇皇后の御陵がある静寂に包まれた史跡です。
竹林に囲まれた円丘の古墳で風景も楽しめます。
長岡京を築いた桓武天皇の歴史が息づくスポットです。
向日市西部、竹林が広がる丘陵地の手前に残る円墳。高畠陵と呼ばれ、桓武天皇の后であった藤原乙牟漏の陵墓とされています。そのため古墳は宮内庁によって管理され、手前に拝所が設けられています。ただし向日市の資料によれば、この古墳は4世紀頃の築造とされており、桓武天皇の時代とは400年ほどのずれがあります。そもそも桓武天皇の時代には、古墳の築造自体とっくに終焉を迎えていたのですね。このあたりにはほかにも寺戸大塚古墳など大型の古墳が多数造営されており、古墳時代前期にこの地を治めていた有力首長の墳墓、と言うのが実際のところのようです。樹木に覆われた墳丘は全体の形状もよくわかりませんが、遠い時代に思いを馳せるよすがにはなるかもしれません。
京都向日町市にある伝高畠稜古墳。
宮内庁管理の御陵です。
静かにねむる桓武天皇さんの奥さんのお墓です。每日の散歩コースで 沢山の人が散歩しています。ねむられておられる皇后さんもビックリか?来週は竹灯りが始まります。賑やかで 皇后さんも喜んでおられるかな。
平安京を遷都した桓武天皇の皇后のお墓です。桓武天皇の御陵ではありません!桓武天皇陵は、ここより東の方向、京阪丹波橋駅から東へ10分ほど歩いた桃山丘陵の一角にあります。近くには府立桃山高校も。
部活の声が響くエリア。鳥のさえずりが気持ちいい。両サイドの松の木が美しい。隣の竹林は筍栽培をしているそうです。
天皇陵って 京都らしいです‼️
被葬者:桓武天皇皇后 天之高藤廣宗照姫之尊(藤原乙牟漏)宮内庁により、第50代・桓武天皇皇后である藤原乙牟漏の高畠陵に治定されています。天之高藤廣宗照姫之尊の名は諡号です。天応元年(781)4月15日に山部親王が桓武天皇に即位すると、延暦2年(783)2月7日には夫人となり、4月に皇后に立てられました。延暦9年(790)閏3月10日に31歳で崩御し、高畠陵に葬られたと伝えられています。拝:2020/11/07
長岡京を築いたとされる。恒武天皇のお墓で、宮内庁陵になります。道路を西に進むと、竹の径の竹林の中に寺戸大塚古墳があります。
| 名前 |
伝高畠陵古墳(桓武天皇皇后陵) |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.muko.kyoto.jp/rekimachi/meisho/1522138507463.html |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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天之高藤廣宗照姫之尊と長ったらしい名前がありますが、これは藤原乙牟漏の諡号なので要は藤原乙牟漏の墓です。航空写真を見たら分かりやすいですが、まるで円墳のような兆域が広がっています。ちなみにタイトルに括弧書きしてあるように考古学的には古墳とされています。4世紀末築造の径65mの円墳で、乙訓古墳群に属していると考えられています。未調査ですが北東約130メートルの乾垣内遺跡で埴輪棺が出土しており、関係性が推測されています。また乙訓古墳群では最古級の円墳である点から重要視されています。藤原乙牟漏:父は内大臣の藤原良継(式家)天平宝字4年(760)誕生宝亀4〜5年(773-774)に皇太子の山部親王に妃として入内。小殿親王(後の平城天皇)を生む天応元年(781)山部親王が桓武天皇として即位。伴ってその2年後に皇后に冊立同5年(786)神野親王(後の嵯峨天皇)を生む同9年(790)薨去。享年31大同元年(806)安殿親王(小殿親王から改名)が平城天皇として即位し、乙牟漏に皇太后を追贈。