武士の歴史が息づく坂道。
御組坂の特徴
幕府御先手組に由来する由緒ある坂道です。
六本木一丁目駅から徒歩約6~7分のアクセス良好なスポット。
綺麗に舗装されたなだらかな坂で散策しやすい環境です。
名の由来など歴史を維持していくのが素敵です。
特に案内板はないのですが、御組坂を上りきった高層ビルが立ち並ぶこの辺りが、皇女和宮こと静寛院宮が明治維新後に住んでいた場所のようです。一度は、京都に戻った皇女和宮ですが、東京に戻って暮らしていた屋敷があった場所です。大奥では確執のあった篤姫こと天璋院とは親しく交流していた場所でもあります。先日、東京国立博物館で開催された「大奥展」では、ちらし文字で天璋院宛に書かれた文も展示されていました。公武合体のため望まない婚儀、武家風に馴染めない大奥での暮らし、夫家茂の死、徳川幕府の終焉と翻弄された人生でしたが、この地では、自分の思いで文を出せる生活に過ごしたように感じます。静寛院宮が亡くなったのは当地ではなく静養先の箱根です。そのため、静寛院宮 終焉の地でもなく、記念する碑が無くても仕方ないかなと思います。とは言え、天璋院宛へ「ちらし文字」で書かれた雅な文を思うと、坂の名以外にも心に留めておきたいように感じます。
歩いて30秒程の細い坂道になります。
坂っちゃ坂だけどねースロープ部は7〜8mですかね由来はある。
日本が武士の時代に、サムライ達の屋敷が坂道にあったそうですが、この屋敷は合戦になると… 先頭をキッテ(血の気が多い)闘う戦闘部隊がいたとの事、関連グッズ販売してモライタイデス~、
ビルの間をゆるやかな坂。江戸時代に幕府の御手先組の屋敷があったとの標識があります。今はそんな痕跡は跡形もなく…
六本木一丁目駅から徒歩で6~7分で、標柱によると坂名の由来は幕府御先手組(おさきてぐみ)、戦時の先頭部隊で常時は放火・盗賊を取り締まる屋敷があったそうです。
普通の舗装の頃良く通っていましたが、タイル?状のきれいな舗装になったようで、写真で見るとまったく印象が違います。
短い坂ですが、舗装された綺麗な小道といった感じです。車通るのかな?
| 名前 |
御組坂 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.minato.tokyo.jp/kyouikucenter/kodomo/kids/machinami/saka/26.html |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
泉ガーデンと仙石山森タワーを結ぶ坂。泉ガーデンはかつての大久保家邸、仙石山森タワーのあたりは仙石家邸があったところ。坂の入り口に名前の由来の標識が建てられていました。南部家上屋敷跡であった静寛院宮旧居はこの坂から少し南に行ったあたりになります。現在の麻布台ヒルズの道を挟んだあたり。アークフォレストテラスのあたりになるようです。