歴史感じる富士講碑、静かなひととき。
富士講関係石碑群の特徴
富士講碑五基は千代田区指定文化財です。
柳森神社は歴史深い合殿・合祠を持っています。
地面近くの石碑は風化が進んでいますが魅力的です。
柳森神社は、延宝8年(1680)に駿河富士宮浅間神社から分祠した富士浅間神社を合殿・合祠しました。それにより富士塚なども境内に築かれていたと思われています。
講碑の他に、小御嶽大神、三柱乃大神の碑も祀られています。
富士塚って大きさではないけど、浅間感あります。
歴史をひとつ又しりました。
境内にある富士講碑五基が千代田区指定文化財。元はもっと大きな富士塚を形成していたというが,破却され,その余りのものを積み上げて,今の形になったそうである。①「三柱乃大神」碑。緑泥岩。頂上付近にあり。一柱は,浅間神社の祭神であるコノハナノサクヤヒメと思われる。残り二柱は想像がつかない。②「神田八講」碑。大正十四年六月再建銘。神田に存在していた富士講八社と講紋が刻まれていた様であるが,幾つか欠けている。③「北口神田講社」碑。昭和五年六月健之銘。「冨士浅間講社再建記念」の銘文あり。北口とは,富士登山ルートの入口の事と思われる。吉田口とも呼び,以降のルートは江戸前期の長谷川角行によって開拓されたという。現吉田市。④「北口冨士分教會」碑。昭和五年十一月。冨士塚跡ではなく,力石群の方にある。⑤「小御嶽大神」碑。富士山小御嶽神社を表すものと思われる。小塚の真ん中付近にあり。もうひとつ壊れた碑がクロボクの中に組み込まれている。縦書きで「大久…」,横書きで「…組」と読めることから,「もしかしたら火消し組の奉納物かもしれないな」と思った。境内案内板に,「1930年 (昭和5年) には、境内に富士塚と呼ばれる、富士の溶岩石を 積み上げて富士山に模した塚も築かれましたが、 1960年 (昭和35年)に取り壊され現存していません。石碑群の銘文には、富士塚が築かれた時期に近い、大正や昭和の文字があり、このころに富士講を再興させようという動きがあったことがわかります」とある(以前の案内板の方が内容が詳細であった)。
神社内にあります(歩道横に降る階段あり)。夜に訪ねると分かりづらく、明るい時刻に行くことをお勧めします。
とかいでほっとできます。
講というのは、今で言う「仲間」「グループ」のようなもの。昔は、近場ならまだしも、遠くにお参りすることなんて不可能に近かった。そこで、同じ信仰の仲間を募り、その仲間が金を出しあい、仲間の中から代表者を選んでお参りに行かせていたそうだ。その代表者が出かけている間は、講のメンバーが代表者の家の留守番をしたりしていた。富士講は聞かないけど、今でも大山講とか天神講、庚申講などはあるそうです。
石碑がたくさんあります。千代田区指定有形民俗文化財。
| 名前 |
富士講関係石碑群 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
03-3251-6452 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
狭い箇所に上手く積み重ねられています。