松尾芭蕉終焉の地、御堂筋で感慨深く。
松尾芭蕉翁終焉の地の特徴
御堂筋の緑地帯に立つ松尾芭蕉の終焉の地の石碑です。
大阪の中心で俳聖の最後を示す、歴史的な場所です。
亡くなった場所に建つ石碑は昭和9年建立の小さなものです。
本町の又一ビル/旧大谷仏教会館前の緑地帯に石碑が佇んでいます(2026年3月現在)41歳からのおよそ10年間で江戸から東北、北陸岐阜、伊賀近畿を旅した俳聖松尾芭蕉その生涯最後の旅路で南御堂門前の花屋仁左衛門の貸座敷に移り病没石碑は貸座敷があった場所に建てられたが御堂筋開通により道路に取り残される形となった(大阪市中央区のウェブサイトから)南御堂難波別院によって建設された旧大谷仏教会館のルネッサンス様式の装飾を施したテラコッタを外壁の一部として保存した又一ビルには独特な美しさがあり、歴史を紡ぐかのように芭蕉翁の終焉の地に花を添えているような感慨深いものがありました。
大阪の中心的な道路 御堂筋その緑地帯に建つ小さな石碑にこの文字が刻まれています昼間は交通量が多くて緑地帯には入れないと思ってすぐ近くのホテルに宿泊して早朝の東雲時に行って来ました筋向かいの南御堂の境内には辞世の句碑があります。
江戸時代の町人文化を彩った松尾芭蕉はこの地で終焉を迎えたのですね。井原西鶴終焉の地からは、シェアサイクルで15分程度の距離ありました。本線と側道の間の緑地帯あるので、そこに行くのは結構危険かと思います。
終焉の碑は御堂筋の路側帯植え込みにあります。御堂筋西側の南御堂境内に辞世のの句と言われる碑文があります。
俳句のことをあまり知らない小職でも知ってる超のつく有名人ですがその終焉の地が大阪のメインストリートにあると知る人がいったいどれほどいるんやろうななんか…カッコいい人ですな。
奥の細道でも有名な俳人、松尾芭蕉がこの付近で最期を迎えたことを示す石碑です。大阪を代表するメインストリート“御堂筋”の本線と側道との間にある分離帯の中にポツンと建てられているので、普通に歩道を歩いていると見落としてしまうか、あるいは気付いても何の石碑か分からないまま通りすぎてしまうような状態です。近くで見るためには側道を渡る必要があるため、車には十分注意してください。御堂筋をはさんで反対側(西側)には“真宗大谷派難波別院”、通称“南御堂(みなみみどう)”というお寺があり、そちらの境内には松尾芭蕉の辞世の句「旅に病で ゆめは枯野をかけまはる」が刻まれた句碑があります。
御堂筋の緑地帯内にぽつんと建つ、芭蕉終焉の地の碑です。松尾芭蕉が倒れたとされる土地で、お墓は滋賀県大津市の義仲寺にあるとのこと。松尾芭蕉は江戸時代の俳諧師で、数々の名作を残しています。代表作に「奥の細道」があり、日本の風景や四季を詠んだ句が多数含まれています。また、俳句の中でも五・七・五の調和のとれた作品を多く残し、日本文化の重要な遺産として評価されています。そんな松尾芭蕉の倒れたところが、こんな御堂筋の大通りに建ってるなんて。ぜひ一度目を向けてみてください。
芭蕉翁終焉の地グーグルマップで知りました‼️知りえて良かったです‼️南御堂にも石碑が奉られています。旅に病んで夢は枯野を駆けまわる夢を馳せるその想いに頭がさがります🌾🌾🌾
大阪は御堂筋の側道の緑地帯に松尾芭蕉翁の終焉の地の石碑がたっている。墓は全国にあるが、松尾芭蕉が大阪で亡くなった事を知る人も少ない。旅を生活の常とし、心に残る情景や風情を俳句に残した芭蕉が車行き交う側道沿いに終焉の碑があるのもこれもまた面白い。
| 名前 |
松尾芭蕉翁終焉の地 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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御堂筋、本町~心斎橋へ向うとポツンと碑が建っています。あの俳人松尾芭蕉が弟子たちのいざこざを治める為に大阪へ、ところが体調を崩して弟子の家で、この花屋で治療するも亡くなってしまうんだな😢亡くなる4日前に詠んだ最後の句が‥"旅に病んで夢は枯野をかけまわる”なんて淋しさ漂う歌なんだ😢野ざらし紀行、更科紀行、奥の細道と人生を旅とたとえ、多くの名句を残した人ですね。道路の向うの「南御堂」のお庭、獅子吼園(ししくえん)に芭蕉を偲んだ人達の句碑が有ります。