神秘の咲き分け散り椿、星谷寺。
星谷寺 (座間市)の特徴
坂東三十三観音霊場の第八番札所として親しまれる寺院です。
美しい紅葉の大イチョウが特徴の神奈川県座間市の名所です。
本堂の横に朱印を得る券売機が設置されている独自のシステムがあります。
坂東三十三観音霊場8番札所星谷寺へ訪問しました。星谷寺の七不思議の案内板も有りました。
小田急座間駅から徒歩5~6分ほどの寺院。坂東三十三観音第8番に数えられる寺院で星の谷観音の別名で親しまれています。古より「星谷寺の七不思議」という伝説があり、参拝者の好奇心をくすぐってきました。その七不思議のひとつに数えられる梵鐘は鎌倉時代初期である嘉禄3年(1227年)の刻銘があり、国の重要文化財に指定されています。寺の周囲は住宅街となっており、静かな環境です。入り口には門ではなく、露仏の阿吽の仁王像が目を光らせています。本堂は改築工事の影響もあってか古さをあまり感じませんでした。堂内に入ることも可能です。こちらのお寺の寺務所は特徴的で御朱印などの授与品は券売機で券を購入して拝受します。まるで食堂やラーメン屋のようですが、これも効率化の一環なのでしょうか。御朱印は至ってシンプルなものでした。札所の寺院であることからかお寺の方はあっという間に御朱印を書き上げていました。
坂東三十三観音霊場8番札所として参詣させて頂きました。住宅地の中にひっそりとあるお寺様です。真言宗大覚寺派の寺院で、山号は妙法山、院号は持宝院であり、ご本尊は聖観世音菩薩です。綺麗に整えられた境内を散策しながら御本堂にてご本尊を参拝させて頂きました。納経所にて御朱印を直書き浄書頂きました。ありがとうございました。午歳総開帳で再度参詣させて頂きました。御手綱にて聖観世音菩薩様とお近づきになれましたが、ご本尊の厨子は秋の限られた期間に開けられるとのこと。境内の大銀杏がとても立派で厨子の扉が開く頃に伺うとそれは見事な紅葉を拝見できるだろうと思わせる姿です。寺務所にて重印と散華を頂きました。
坂東三十三観音霊場のひとつとして信仰されている寺院です。以前は星の谷観音堂は小田急線をはさんだ東側の、現在県立座間谷戸山公園内の伝説の丘にあったとされています。その本堂山と呼ばれる現在の伝説の丘に、戦国時代、北条氏政の弟で八王子城主であった北条氏照がたびたび陣場にしたと伝わっています。観音堂はこちらに移され、現在も人々の信仰を集めているようです。厳かな雰囲気のある場所です。観音堂の中で、観音様に手を合わせてきました。
坂東三十三観音第8番です。御朱印は、自販機で「納経帳」を500円で購入します。
真言宗大覚寺派の寺院。もとは寺の北東にある山頂(現在の座間谷戸山公園・伝説の丘)にあった観音堂の別当寺として建立されたもので、観音堂とともに行基によって創建されたと伝えられる。観音堂は鎌倉時代に焼失し、現在地に移された。境内は広く色々な建物がある。国指定重要文化財 嘉禄三年紀梵鐘や「星谷寺の七不思議」といわれるものがあり、見所も多い。大きな銀杏の木も残っていて紅葉がとても綺麗。色々な物が残っていて歴史を感じさせるお寺です。駐車場有り。
神奈川県は座間市に有ります「星谷寺」です。星谷寺は元々は近くの現•座間谷戸山公園に有ったとされています。こちら星谷寺の創建年は不明ながら、行基により創建されたと伝わる事から、奈良時代の創建と考えられますね。行基さんの創建の寺は日本各地に有りますが、どこも非常に良い雰囲気で現在に残ります。現在地に移されたのは諸説有りますが、1つは鎌倉時代に観音堂が焼失した際にこちらに移された説です。そしてもう1つは江戸時代説です。これを立証する話しとしては、この寺には小田原北条氏が領有した時代に北条氏照(幼名•藤菊丸)にまつわる記録が有る事です。江戸時代にこちらに移されたという事は小田原北条氏領有時代は、まだ現•谷戸山公園に有ったという事になります。戦国時代当時、北条氏照は武田氏と度々この地で睨み合ったとされますが…その際に北条氏照はこの現•谷戸山公園に有った星谷寺を陣屋としてよく利用したそうです。自分は以前「歴史人」という本で、武田信玄が小田原北条氏との睨み合いの際に、相模原川の向こう(現•金田)から星谷陣屋を見て非常に欲しがったと言うのを見ました。それによると、武田信玄は裏では天下を狙っており、天下を統一した暁には、この現•谷戸山公園である星谷陣屋辺りに日の本の中心を置こうとしていたらしいです(徳川家の江戸城的に)。この地は非常に天然の要害が良いらしく守りに適した防御に優れた地の様です。その話しを加味すると…江戸時代に移された説もあながちウソでは無いのかと感じます。と言う事は…もしも武田信玄がもっと長生きをして、織田氏を蹴散らし京の都の朝廷と結べば、こちらに幕府を置き「江戸幕府」ではなく「星谷幕府」が成っていた可能性も有りましたね。そうすると後の時代からは江戸時代では無く星谷時代と呼ばれたかもしれないです。ただし…武田氏天下統一後に、上手く諸大名の力を削ぎ、豊臣氏や徳川氏が台頭して来なければの話しですがね。非常に興味深いです。まぁ…結果的には武田信玄は早く亡くなり、勝頼の代で織田•徳川連合に攻められ滅亡。小田原北条氏も豊臣氏に攻められ滅亡。その後徳川氏が台頭し現在の歴史の通りとなっています。因みに江戸時代には徳川家の庇護もあつく、徳川家康からは寺領二石の朱印状を拝領されています。寺には鎌倉時代の梵鐘などが現存します。鎌倉時代には源頼朝の信仰も篤く、その重臣である渋谷氏や佐々木氏などとも縁が有ります。また境内には大イチョウ等も有ります。あとは本堂内の木像坐像が非常に興味深く、木像坐像の前に立ち、自分がどちら側に動いても…常に木像と目が合うという物でした。本当に怖いぐらい目が合います(笑)。本当に目が動いている様に見えます。素晴らしい。非常に興味深い古刹でした。皆さんも是非にブラリと訪れてみて下さい。
坂東三十三観音霊場巡りで訪問。由緒のある古いものと、新しく作られた施設が混在していてなかなか興味深かったです。自販機でしたが現金のみ。カードのコンタクトレス決済とかQR決済とかもできればより”らしい”かも。あと、境内にトイレが見つからなかった・・・
主に県央地域の道標に「ほしのやみち」や「ほしのやかんのん」という文字を見掛ける機会があります。坂東三十三観音霊場の第八番札所とのことですから、道案内が行き届いている理由がわかります。近頃たまたま七番札所の金目観音(平塚市)にお参りしてきたところだったので、これも何かの縁かと。それほど大きな寺院というわけでもなく、街中のよく整備されたお寺という印象ですが、訪れた時季がよかったのか二本の銀杏が黄色く色付いていてとても綺麗でした。もう少ししたらそれこそ真黄色でしたかね。参拝の後に歩いていた谷戸山公園内に「伝説の丘」という場所があり、どんな伝説があるのかと調べていたら、元々はこちらの観音堂が建っていた場所で、鎌倉時代の火災により現在地へ移転したとのことでした。
| 名前 |
星谷寺 (座間市) |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
046-251-2266 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 8:30~16:30 |
| HP |
https://www.pref.kanagawa.jp/docs/u5r/cnt/f550/tabi-005.html |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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訪問日:2026/07/15(水)手段:バイク目的:坂東三十三観音 巡礼坂東三十三観音 第08番札所12時半頃に参拝させて頂きました。バイクは駐車場の隅に停めさせて頂きました。とても暑かったですが、境内は落ち着いた雰囲気でした。御朱印は境内脇にある納経所にて、500円で直書きして頂きました。