四条金吾邸址で咲く紫陽花。
収玄寺の特徴
お花が美しい小さな日蓮宗のお寺です。
四条金吾邸跡に建立された歴史ある寺院です。
江ノ電長谷駅から近く、静かに過ごせる場所です。
江ノ電 長谷駅から長谷寺や鎌倉大仏へ向かう道の途中にある、こぢんまりとした日蓮宗のお寺。鎌倉時代の武士である、四条金吾 (しじょう きんご) の屋敷跡に建てられました。お寺の名前は四條金吾の法号 (日蓮宗における戒名にあたるもの) である、収玄院日頼 (しゅうげんいん にらい) から来ています。四条金吾の本名は四条頼基 (よりもと)。官職である左衛門尉 (さえもん の じょう) を務め、左衛門尉の唐名 (とうめい) が金吾であることから、四条金吾とも呼ばれ、第2代執権 北条義時 (よしとき) の孫である江間光時 (えま みつとき) に仕えました。四条金吾は日蓮に深く帰依し、1271年 (文永8年) の龍ノ口法難では日蓮に殉じようとしたそうです。また、医術にも造詣が深く、日蓮から厚い信頼を受けました。江戸時代になってから、四条金吾の屋敷跡に妙詣尼 (みょうけいに) なる人が収玄庵として開きましたが、後に荒廃し、文政年間 (1818年から1830年)に安国論寺の日勇 (にちゆう / 円守院日勇) によって再興され、1923年 (大正12年) に収玄寺の住職を兼務していた光則寺の日慈 (にちじ / 信久院日慈) が今の本堂を再建し、収玄寺として独立しました。境内には、東郷平八郎の筆による四条金吾邸址と刻まれた大きな石碑や、蕪珈琲(かぶらこーひー)というカフェがあります。東郷平八郎は日蓮宗の信者で、大正時代に収玄寺として独立した際に、四条金吾をたたえるために石碑に揮毫したそうです。蕪珈琲へ境内から直接行くことはできず、いったんお寺の外に出てから、脇の小道を通って行くことになります (蕪珈琲の営業日や営業時間はInstagramに詳しく出ています)。御朱印や御首題は、本堂に向かって右側にある寺務所にていただけます。
鎌倉市長谷にある日蓮宗のお寺。龍の口法難において日蓮聖人に帰依して殉死の覚悟で同行した江間家家臣の四条金吾の屋敷があった場所で金吾の死後に建てられたお寺です。境内には素敵なお庭が造られています。四条金吾邸趾の記念碑の揮毫はあの東郷平八郎のものです。
江ノ電長谷駅から長谷寺へ向かう道沿いにあって、多分大半の観光客は素通りしてしまうであろう(ごめんなさい)小さなお寺ですが、なんとなく気になって入ってみたらキレイな紫陽花。ポピュラーな球状のセイヨウアジサイやガクアジサイだけでなくヤマアジサイなどいろいろなカタチと色の紫陽花が並んでいて、他の人を気にする必要も無くじっくり、ゆっくり写真撮影に没頭することができました。
こちらは2024年03月04日の訪問となります。長谷寺に続く通りで、長谷寺の手前にある寺。立地が良い! 鎌倉武士だった四条金吾の屋敷跡に建てられた日蓮宗の寺院。四条さんは日蓮宗立宗当初からの門徒で、日蓮さんが処刑されそうになった時は自らも切腹覚悟で龍の口の刑場(現・江ノ島駅最寄りの龍口寺敷地内)に向かったほど信心の篤い方だったそうです。ここの特徴は何と言っても花。画像をご覧の通り、決して広くないけれど手入れの行き届いた境内で四季折々の花々による百花繚乱の様は絶品です。この日も撮影されてる方が結構いらっしゃりました。拝観料は志納(志に見合った額を入れて下さい、の意)。また、境内には住職の奥さまが営むカフェがある。新しい……。
長谷寺の道すがら狭い境内ながら素敵な紫陽花を見せてくれるお寺。皆通りすぎてしまってるけれど、境内に足を踏み入れると分かるこのお寺の良さ。
長谷駅から長谷寺とかに行く道の途中にあるところ。お花が綺麗に咲いていてお庭もきれい。中にカフェがあるのが興味深いです。雰囲気良さそう。
四条金吾邸跡に建立された日蓮宗のお寺です。あまり広くは無い境内には四季を通して色々な花が咲いていて、境内の片隅には東郷平八郎筆による大きな石碑もありました。収玄寺は長谷駅から長谷寺に向かう道の途中にありますが殆どの観光客は素通りしてしまうので静かにお詣りが出来るかと思います。境内の一角に良さげなカフェもあるので、いずれそちらも訪問してみたいです。
朝早くから御首題対応ありがとうございました。日蓮宗に帰依した鎌倉武士 四条頼基の屋敷跡の寺院です。
四条山収玄寺といい日蓮宗のお寺になります。御本尊は十界曼荼羅で、旧本山は行時山光則寺です。長谷寺に行く手前にある小さなお寺になりますが、緑青に被われた銅葺屋根の美しい本堂には日蓮聖人と四条金吾夫妻の像が祀られています。境内には「四条金吾邸址」の石碑がありますが、この石碑は日露戦争の時に連合艦隊を率いた東郷平八郎元帥の揮毫になります。四条金吾(四条頼基:収玄院日頼)は日蓮宗立宗当初からの門徒であり中心的な存在でもありました、鎌倉武士でもあった四条金吾は日蓮捕縛の報を受け自身も切腹覚悟で片瀬にあった龍の口刑場に向かったといわれており信心の篤い人物でありました。江戸時代になってこの四条金吾の屋敷跡に妙詣尼が収玄庵という寺として開創しましたが、明治期の廃仏毀釈の流れでお寺は荒廃してしまいますが大正十二年(1923年)に行時山光則寺の日慈上人が今の本堂を再建し戦後四条山収玄寺として独立しました。
| 名前 |
収玄寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0467-25-3238 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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境内はそれほど広いわけではないが、その中に本堂、石碑、供養塔、樹木、カフェ等があり、見所が凝縮されている。紫陽花の咲き始めの時期に訪れたが、季節によって様々な花が楽しめるらしい。外国人観光客は、有名な長谷寺、大仏等に向かい、収玄寺は素通りかと思っていたが、結構訪れているようだった。