小山評定の地に、歴史の息吹を感じて。
徳川家康公小山評定之碑の特徴
徳川家康公ゆかりの地、小山評定の碑があります。
須賀神社入り口付近に位置し、アクセスも良好です。
慶長5年の歴史を感じられる貴重な場所です。
小山評定の後に徳川家康が須賀神社に戦勝祈願をした事を記念する碑別に祈願をしなくても勝っていたと思う。
2023年現在NHK大河ドラマで絶賛放送中のど〜する家康こと、徳川家康公が天下分け目の関ヶ原合戦に先駆け前哨戦として、会津若松に転封となった上杉家を懲らしめようと出陣しました。しかし西方にて石田三成に西軍挙兵されてとってかえすところ、この小山の地にて軍議を行いました。その際に、味方陣営と示し合わせて演技を行い将のモチベーションを上げたとされるのがこの小山評定です。実は小山評定の碑は、小山市役所直ぐそばにある小山御殿の近くにもありますが、なんとこちらの須賀神社にもあります。
小山市でも格式高く由緒ある須賀神社の入り口付近にある小山評定の碑歴史好きの方ならご存知かと思いますが徳川家康公ゆかりの地であります。小山市役所の方には小山評定跡があります。あわせて巡るのがおススメです。
赤ちゃんが何組か、いました。お宮まいりかな?街の中にポツンとある感じです。古き良きものです。
小山評定の碑は、素っ気ない感じです。
慶長5年(1600年)4月、上杉景勝は家康から上洛して領内諸城改修の申し開きをするように召還命令が出るがこれを拒否する。この召還命令は景勝を排除するための策だと見られている。この際、兼続による挑発的な返答が、家康の会津征伐を煽ったとされる(直江状)。慶長5年(1600年)6月16日、家康は陸奥国会津を領していた上杉景勝を討つために大坂を発つ(会津征伐)。入れ替わるように前田玄以、増田長盛、長束正家の三奉行の上坂要請を受けた毛利輝元が7月17日に到着(大坂入城は19日)。同時に三奉行連署からなる家康の罪状13か条を書き連ねた弾劾状(『内府ちがいの条々』)が諸大名に送られた。ここに関ヶ原の戦いの対立構造が成立する。「小山評定」とは慶長5年7月25日下野国小山において、家康と会津征伐に従軍していた諸大名によって開かれたとされる軍議のことを指す。その場では福島正則が進んで家康の味方を表明し、山内一豊が徳川軍への居城明け渡しを申し出たことなどによって諸大名は家康のもとに団結し、会津征伐中断と上洛が決定したとされてきた。これまで関ヶ原の戦役におけるターニングポイントの一つと扱われてきた「小山評定」であるが、軍議における家康や諸大名の言動は「慶長記」・「関原始末記」等寛永・慶安期以降に作成された二次史料に記されているものであり、一次史料からは確認されない。
須賀神社は国道4号線に面しており、そこに小山評定開催の碑が建っている。上杉討伐に向かっていた家康軍に上方で三成が挙兵した報が入り、緒将を集め、このまま進軍するか、上方に返して三成と戦うかを質した。結果、三成と戦うことに決し、家康軍は関ヶ原に向かった。歴史の大転換の場所だし、その場所を見たかった。
須賀神社の入口に有るので場所はすぐにわかると思います。歴史好きには垂涎の場所です。家康の時代を想起させてくれる場所です。
以前こちらで地鎮祭をお願いしました。神主さんユーモアがある方でした。神社自体は風格があり、素晴らしい神社だと思います。
| 名前 |
徳川家康公小山評定之碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0285-22-0450 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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【歴史探究】◉石碑 徳川家康公小山評定之碑📍栃木県小山市天下分け目の戦いと言われた関ヶ原の戦いに向けての軍議が行われたとされる「徳川家康公小山評定之碑」を探究しました。14時30分に小山評定之碑がある須賀神社境内を探究しました。🏛️徳川家康公小山評定之碑(トクガワイエヤスコウオヤマヒョウジョウノヒ)☆由来徳川家康は慶長5年(1600年)7月24日、上杉景勝を討伐するために江戸(東京)から会津(福島県)へ向かう途中に徳川家臣である鳥居元忠の使者から石田三成が挙兵したとの報を受け、翌25日に諸侯を集め軍議を開いた。軍議は福島正則が家康公への忠誠を誓い、続いて山内一典が🏯を家康に献上した事から諸大名は家康公を支持し関ヶ原へ向かう決心をしました。家康公は当神社に参籠して戦勝を祈願し、関ヶ原の戦いにて石田三成の西軍に勝利した。🍙徳川家康公小山評定之碑を簡略☆小山評定に参加した主な大名や武将[徳川家]徳川家康公徳川秀忠(家康公のお世継ぎ)本多正信(軍師)本多忠勝(生涯で57回もの戦に従軍した猛将)井伊直政(赤鬼の異名を持つ徳川四天王の1人)[諸大名]福島正則(秀吉家臣で賤ヶ岳の七本槍の1人)黒田長政(関ヶ原の戦いで1番の功労者)藤堂高虎(三代築🏯名人の1人)山内一豊(土佐藩初代藩主)浅野幸長(秀吉の一門衆として活躍した武将)細川忠興(明智光秀の娘、ガラシャの夫)加藤嘉明(秀吉家臣で賤ヶ岳の七本槍の1人)蜂須賀至鎮(徳島藩初代藩主)その他21名程が集まったとされている。須賀神社宮司によると「小山評定は神社の境内で行われ、徳川家康公が戦勝祈願をした」と話す。家康の侍医、板坂卜斎の「慶長記」には三間(5m)四方の仮御殿を造らせたとある。☆須賀神社御創建壹千七拾年記念事業平成24年(2012年)4月に御創建壹千七拾年式年大祭を斎行し、これを記念して大鳥居・社号標などと一緒に造営されました。🍙境内説明板◉感想国道4号沿い須賀神社二ノ鳥居右側に「徳川家康公小山評定の碑」はあります。車での来訪時は須賀神社駐車場に車を停める事ができます。「小山評定」に関する記念碑は小山市内に2つ建立されています。須賀神社の「小山評定之碑」は平成24年(2012年)に、小山市役所の「小山評定跡碑」は昭和39年(1964年)に建立されており、双方共にまだ歴史は浅いです。「小山評定」に関する史料も少なく、今現在もどの場所で行われたか?実際に行われたかは結論には至っていないようです!小山市役所にある「小山評定跡碑」まで300m程と近くにあるので徳川家康公ゆかりの地である「須賀神社」を参詣しながら探究してはいかがでしょうか?ありがとうございました。◉所在地栃木県小山市宮本町1-2-4 須賀神社境内◉アクセス🚊JR東日本東北本線(宇都宮線)/小山駅西口から797m、徒歩12分位。◉駐車場須賀神社駐車場が利用できます。