歴史ある白幡神社で運試し!
白幡神社の特徴
由緒ある祭神、誉田分命が祀られている神社です。
結城稲荷神社の境内に白旗を奉納した歴史が残る場所です。
自転車で参拝しやすい、地域密着型の小さな神社です。
2024年の初詣に訪問。無人でしたがおみくじもありました。人は少ないものの清掃は行き届いており、地域に大切にされている神社です。
白幡神社 祭神 誉田分命結城稲荷神社 祭神 稲倉魂命このあたり一帯は古く結城野という、現在の地に当時、結城稲荷 と呼ばれている社がありました。治承四年九月 (1180年) 安房勝山から北上した源頼朝がここに到着し、この稲荷社に白旗を献上して、源氏の再興を祈願しました。以後この社は白旗大明神と称されていましましたが、明治初年 結城稲荷と分社し、 白幡神社と社号を改め現在に到っています。昭和三十一年二月境内より古墳時代末期(一四〇〇~一五〇〇年前) の金銅装飾直刀二振りが出土しました。これによって、この地の先端に古墳が築かれ聚落があった事と推定されます。【現地案内板より抜粋】本千葉周辺の散策メイン、君待橋からの白幡神社、市街地にありながら、以外と楽しめるコースです。
前から気になってた神社でした。やっとお詣りできたー。由緒正しき神社だったのね。
おみくじにある「失せ物出べし!」とはまさにこの通り。白幡神社は千葉ポートアリーナから喫茶店ブラジルに向かう道沿いにあるため、よく脇を通り過ぎていました。過去参拝は数回のみでしたが、ワンコと海で遊んでいる内に海中に没した防水ケース入りマイスマホ探索の成功をたまたま参拝時にお願いしたところ、後日奇跡的に見つけられたのは昨夏のことです。常駐の神主さんもいない小さな神社ですが、何と霊験あらたかなことかと驚きました。以来、お礼方々時々訪ねています。
街の中に、ひっそりとある小さな神社です。昔、源頼朝が石橋山の合戦で敗れて安房に逃れ、千葉氏を頼り千葉を通過する際に当地に鎮座していた結城稲荷の境内に陣をかまえ、源氏の白幡を立てたことから、白幡神社と称されたようです。現在放送されている大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、出てきませんでしたが。宮司も常駐してないこじんまりとした神社なので、駐車場はありません。参拝の際は、公共交通機関を利用した方がよいです。
駐車場🅿→無いです。車で行くときは厳しいです。狛犬は一対と、片割れが燃えてしまった片割れがいました。彼岸花が片隅に植えてありました。
由緒ある神社らしくて、とてもすばらしい。
ご近所さんにあった神社⛩気になっていたので用事の帰りに寄ってみました!雰囲気もありいい感じの神社でした⛩
千葉県内には、白旗/白幡神社が点在します。それがちょうど、源頼朝が、石橋山の合戦に敗れて海路安房国へ落ちのび、捲土重来、房総半島の内湾側を陸路鎌倉へ向かって進軍していったルートに重なるようにも見えるので、多くの神社が「頼朝が陣を張り、源氏の白旗を掲げたからシラハタだ」といった伝承を持っています。また、神奈川県内のシラハタ数社も、頼朝の事跡とからめて、社号を説明しています。それはそれで事実でもあるのでしょうが、シラハタ神社は頼朝以前からあったものと思います。個人的には、「シラ」=新羅、「ハタ」=秦、で、古代の戦乱を逃れて日本に渡来してきた住民の足跡を示している可能性があると思っています。藤沢にある白旗神社のWEBサイトでは、「白旗神社がいつごろできたのかは定かではありませんが、鎌倉時代より以前から、相模国(神奈川県あたり)にある寒川神社の神様・寒川比古命をお祀りして、同じ名前の寒川神社と呼ばれていました」と述べています。この千葉の白幡神社も、近くにある寒川神社の摂社であるといいます。「寒川」も、古代朝鮮語由来との説もあります。千葉は、日本国内でも古墳の数が多い土地でもあり、こちらの白幡神社も古墳のそばに祀られていることから、長い歴史を持っていることが想像できます。--------------------- 引用ここから --------------------この辺は江戸時代以前までは結城野と呼ばれていました。当社の伝承では、「昔は結城稲荷と呼ばれ倉稲魂命を祭神としていた。治承4年(1180)、石橋山の合戦に破れた源頼朝は、再挙を図り千葉城主千葉常胤を頼って千葉を通過する時、結城稲荷の境内に源氏の白旗を立て、その1旒を奉納したことより白旗(幡)大明神と呼ばれるようになった。」と伝えられる。また江戸時代初期の『総葉概録』には「白幡八幡」と記され、江戸中期の『千葉盛衰記』には、前記伝承を記している。明治になって白幡神社とその社号を改めました。神社は、古墳の上かまたはその側に祀られたものと思われ、昭和31年2月3日神社の境内からは古墳時代後期(1400~1500年前)の金銅装飾直刀2振が出土している。
| 名前 |
白幡神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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『新宿白幡神社』鎮座地: 〒260-0021 千葉県千葉市中央区新宿1丁目19-4御祭神: 譽田別命(応神天皇) 息長足姫命(神功皇后)御朱印: なし駐車場: なし※入口付近への駐車は禁止表示あり 周辺有料駐車場利用推奨参拝日時: 令和8年6月13日 午後0時19分頃---備考・千葉市指定史跡・市街地に鎮座する八幡系神社・無人管理・源頼朝伝承が残る・白旗(白幡)伝説の地・境内より古墳時代後期の金銅装飾直刀出土・結城稲荷大明神を合祀・古墳関連地の可能性あり・湧水池あり・比較的保存状態良好---千葉市中心部の市街地。交通量の多い道路沿いにありながら、一歩境内へ入ると不思議なほど落ち着いた空間が広がる。赤い社号標が目を引き、その奥には整えられた境内と社殿が静かに鎮座している。---現在は白幡神社として知られているが、その歴史を辿ると本来は「結城稲荷」に行き着く。境内に残る案内によれば、当地はかつて結城野と呼ばれ、倉稲魂命を祀る結城稲荷大明神が鎮座していたという。治承4年(1180年)、石橋山の戦いに敗れた源頼朝が再起を図るため千葉へ向かう途中、この地で源氏の白旗を立て、その一旒を奉納した。その故事から白旗大明神、後に白幡神社と呼ばれるようになったと伝えられている。---境内を見渡すと、確かに末社として結城稲荷大明神が祀られている。しかし歴史的な経緯を見る限り、現在の主祭神である八幡神よりも、むしろ結城稲荷こそが当地の原点と言える存在である。時代の流れの中で八幡信仰が加わり、主従の立場が入れ替わった神社とも言えるだろう。神社の変遷そのものが境内に残されている点は非常に興味深い。---また、この神社の価値は中世史だけに留まらない。昭和31年、境内から古墳時代後期の金銅装飾直刀二振が出土している。約1400〜1500年前の遺物であり、神社周辺が古墳、あるいは古代祭祀の重要地点であった可能性を示している。神社が古墳上、もしくはその周辺に祀られる例は全国各地に見られるが、白幡神社もその系譜に連なる可能性が高い。---境内には古碑も多い。歴史資料として価値の高そうな石碑群が並び、都市部の神社としては珍しく歴史的な見どころが豊富である。狛犬や石灯籠も残されており、地域の崇敬を長年受けてきたことが分かる。---手水舎脇には小さな池があり、水が湧き出している。規模は大きくないが、水辺の景観が境内に潤いを与えている。市街地の真ん中でありながら、水と緑が保たれている点は印象的であった。---社殿は比較的新しく整備されているが、周囲には古木も残り、近代的な街並みと古社の歴史が共存している。車の音は聞こえるものの、参拝者は少なく、落ち着いて参拝できる環境であった。---源頼朝伝承、結城稲荷の歴史、そして古墳時代の出土品。小さな境内ながら、古代から中世、近世へと続く歴史が凝縮された神社である。特に結城稲荷大明神の存在は見逃せず、「白幡神社になる以前の姿」を想像しながら参拝すると、より興味深く感じられる一社であった。#神社#白幡神社#結月大佐の御朱印さんぽ。