真田昌幸公ゆかりの聖地。
善名称院(真田庵)の特徴
真田昌幸・信繁親子が蟄居した歴史的な場所です。
近くには歴史資料や真田に関連する展示物があります。
駐車場が近くにあり、アクセスも便利な立地です。
高野山参拝の帰りに寄りました。真田信繁(幸村)公、父の真田昌幸公の屋敷跡に建てられたお寺で、真田昌幸公が亡くなられ真田幸村が建てた宝篋印塔が現存しています。
和歌山県伊都郡九度山町善名称院(ぜんみょうしょういん)「真田庵」拝観無料駐)府道13号線沿い(和歌山橋本線)に駐車場があります。善名称院(真田庵)は高野山真言宗のお寺で真田昌幸(父)・信繁(次男)が九度山へ流され父 約11年間幽閉され64歳で没しています。生涯九度山から出ること叶わなかった想いは、実際こちらに訪れて感じるものがあります。我が1996年から現在までの真田庵の写真を…。南海高野線九度山駅から徒歩で感じる自然な樹木に奥深い山々、深い谷間。「長い忍従生活場所」真田庵の屋敷入口にベンチあり静かに座って昌幸の句想いを感じとればと。「さてもさても口惜しみかな。内府をこそ、このように…思ったのに。」
色々な牡丹だけでなく、藤やクレマチスも綺麗に咲き誇っていました。
『真田庵』がわかりやすいかな。入り口のお賽銭箱に、閻魔様が!!!六文銭を家紋にしている真田家では、三途の川の裁判官である閻魔様を信仰していたそうです(*_*)長野県上田は訪れたことがありますが、こちらは関ヶ原の戦い後に、暮らしていた場所。昌幸の墓があり、夏の陣で散った幸村と、16歳だった大助の石碑があります。
真田信繁(幸村)公、父の真田昌幸公の屋敷跡に建てられたお寺で、真田昌幸公が亡くなられ真田幸村が建てた宝篋印塔が現存。墓地がある感じで祀られています。御朱印など興味があり頂きたかったですが、無人で…少し寂しさを感じましたが、真田親子が住まわれた場所に来れた事には感動でした。駐車は県道の出光ガソリンスタンド近くの九度山駐車場へ。無料です。
関ヶ原敗戦後、真田昌幸、幸村親子が暮らした場所です。この地で終焉となった昌幸はさぞ悔しい思いをされていたのでしょう。近くに真田ミュージアムもありますが車で来られた方は少し離れた大通り沿いに無料駐車場があります。
真田昌幸のお墓があります。九度山駅から徒歩7~8分くらいでいけます。近くに九度山・真田ミュージアムもありこちらも楽しめます。歴史好きにはたまらないスポットだと思います。
前回訪れたのが約9年前、真田丸が放送されていた時期で高野山も弘法大師1200年と重なり大変賑わっていました。老朽化が進んでいるなぁという感じはしました。修繕のための寄付は少しばかりでしたがしてきました。この辺りの古き良き街並みは昔に戻った感があり懐かしさを憶えます。是非後世に残したい!
2025.6.22大安上人の開山、寛保元年(1741)に創建され、本尊に延命子安地蔵菩薩を祀る高野山真言宗のお寺です。真田親子(昌幸と幸村)が関ヶ原の戦いで西軍に味方して敗れ、謹慎を命じられ、この地に隠れ住んでいた屋敷跡です。境内に歴史を書いた看板が有ります。閑居生活の中、父昌幸65歳で生涯を閉じる。やがて幸村は1614年、息子の大助ら一族と共に、大阪夏の陣、冬の陣で奮戦。が、1615年に茶臼山にて壮絶な最期を遂げる、そんな歴史が書かれています。その後、大安上人によって善名称院(真田院)が建てられたと…境内には幸村が落ちた雷を封じ込め、村人を救ったと伝わる「雷封じの井」そして真田昌幸、幸村、大助のお墓(供養塔)も見えます。蕪村も訪れたのですね。「隠れ住んで 花に真田が謡かな」蕪村には桜の散る様子を親子が歌っている姿が見えたのでしょう😃真田親子の伝説が残るこの地(善名称院)とミュージアムは真田丸ファン必見の場所です。
| 名前 |
善名称院(真田庵) |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
0736-54-2218 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 7:00~16:00 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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信州人として、是非行ってみたかった九度山善名称院、通称真田庵へ高野山の帰り道立ち寄らせて頂きました。午後4時閉門で慌てて4時頃入りましたが、そのまま見学することができました。信州上田の偉人、真田昌幸公、幸村公がこの山深い街九度山に流され、昌幸公は遠くこの南の土地で苦労しながら命を落とし無念さ、また、幸村公は、ここを立ち、豊臣家のため、大阪城へ向かうといった歴史が今にも感じられる感慨深いところでした。昌幸公のお墓に手を合わせ、次の宿泊場所、滋賀県大津へ向かいました。