春の特別拝観、建仁寺の風。
正伝永源院の特徴
春の特別拝観で訪問し、静かな雰囲気の中で心を落ち着けられました。
建仁寺の塔頭に位置し、狩野山楽の障壁画がとても印象的です。
織田有楽斎長益が再興した歴史を感じる、こじんまりとしたお寺です。
通常非公開で特別拝観の時に訪れました。細川家代々の墓や、織田有楽斎関連のものがあります。こじんまりとした寺院ですが、庭園や襖絵など楽しめます。今は犬山にある国宝の茶室如庵ゆかりの寺院だったとは知りませんでした。
春の特別拝観が間も無く終わるので、ギリギリで伺いました。綺麗に手入れされた庭でした。
祇園のすぐそばにありながら、とても静かなお寺。大きな通りに面しておらず入り口も分かりにくいので、紅葉のピークシーズンでも人は少なめです。肥後熊本藩細川家ゆかりの場所なので、元首相の細川護煕さんの襖絵があります。ほかにも織田有楽斎(有楽町の語源)の墓所もあり、小さいながら見どころは多いです。
京の冬の旅2022で訪問しました。建仁寺の塔頭ですが境内の北側に通りを挟んだ場所に位置します。肥後細川家の菩提寺とのことで、境内には代々のお墓もあります。織田有楽斎が復興した由来があり、国宝の茶室・如庵のレプリカ(と言って良いのかな)があり、往時を偲ばせます。他にも京狩野の初代・狩野山楽が描いた蓮の襖絵や有楽斎の生前に彫った木造等が公開されています。こじんまりとしたお寺ですが、とても落ち着いた雰囲気でゆっくり出来ます。秋にはお庭の紅葉が綺麗らしいです。
21年11月30日に訪れました。通常非公開で特別公開のみ拝観出来ます。門を入ってすぐ右にある神社の小さな祠に人形が2体座っていました。今回紅葉を見に行ってきました。本堂の真正面にある約6mの石塔は、室町・戦国時代の茶人・武野紹鴎(たけのじょうおう)の供養塔で、およそ100年ぶりに『正伝永源院』に戻りました。『正伝永源院』は2つの寺院、正伝院と永源庵が明治初頭の廃仏毀釈で、一緒になったものです。織田信長の弟・織田有楽斎は、正伝院を中興し、武野紹鴎を茶道の師とあおいでいたため、堺から武野紹鴎の供養塔を1620年頃に正伝院に移したと伝わっています。その後廃仏毀釈で、塔は大阪財閥の重鎮だった藤田伝三郎の大阪市内の邸宅の庭園に移され、飾られていました。藤田家から塔を奉納され、21年10月に『正伝永源院』に移されました。クレーンで持ち上げられ供養塔が設置されたそうです。供養塔が戻ってから今回初めての特別公開だそうで、貴重な体験でした。
建仁寺の塔頭の一つ。元々は正伝院と永源庵と別々だったが明治期の廃仏毀釈の際に一つになって今日に至っている。正伝院は織田有楽斎により再興され、隠居所と茶室如庵(明治期に故郷犬山へ移築)が建てられた。ここにある如庵は平成八年に瓜二つに建てられたものである。永源庵は細川家の菩提寺となっており、子孫である細川護熙元首相の描いた襖絵がある。
特別拝観に行ってきました。障壁画は細川護熙元首相のものに変わっていました。感動というよりも感心というのが感想です。織田有楽斎の終焉の地ということで、墓や肖像など所縁のものが多数ありました。波乱の生涯だったと思いますが、数年前の真田丸での井上順さんの好演の印象が強すぎて先入観を捨てられませんでした。大河ドラマも考えものですね。その有楽斎が残した如庵の複製もありますが、屋根が少々痛んでいたのが気になりました。観光客でごった返す祇園の一角にあって静かな時間を過ごすこともできました。そういうことを思うと500円の拝観料は高くないと思います。
建仁寺の境内外搭頭で、タクシーの運転手さんもあまり場所を知らないようで、今回、建仁寺の中まで連れていかれました。正しい場所は道を挟んだ建仁寺の北隣です。長い名前の由来は、正伝庵と永源院が一緒になってこの名前になったそうです。搭頭寺院の宿命ですが、差ほど広くない山内に上手に伽藍が配置されていました。織田信長の弟で、大名茶人である織田有楽斎がこの寺を再興し、晩年は75歳で亡くなるまでこの寺で悠々自適の生活を送ったそうです。熊本藩主・細川家の菩提所であり、元首相の細川護煕さんが描いた、雪景色の京の街と山々の襖絵が良かったですね。写真可でしたので、紹介します。
特別拝観に行ってきました。障壁画は細川護熙元首相のものでした。観光客でごった返す祇園の一角にあってここだけ時間が止まっているような静かな時間を過ごすことができました。
| 名前 |
正伝永源院 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
075-531-0200 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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春の特別拝観で、お訪ねしました。花見小路より一筋外れた所なので、お手入れのされた素敵なお庭を眺めながら、静かな時間が過ごせます。細川護熙氏の襖絵を見せていただきました。