高津宮で桂文枝の足跡。
五代目 桂文枝 之 碑(高津宮)の特徴
高津宮は五代目桂文枝師匠の最後の高座があった場所です。
梛(なぎ)の苗木は熊野速玉大社からの記念植樹となっています。
上方落語四天王の一人として歴史的な意義を持つ神聖な場所です。
高津宮は五代目桂文枝師匠の最後の高座となった場所です此の碑の隣に植えられている梛(なぎ)は熊野速玉大社の苗木が記念植樹されている。
◽アクセス▪️谷町線「谷町九丁目駅」 ②出口:徒歩7分▪️高津宮境内◽五代目文枝というより▪我々世代にあっては、「あんけらそ~」や. 「場内立錐の余地もなく」の十八番のフレ. ーズで慣れ親しんだ先代「桂小文枝さん」. の顕彰碑です。▪謂わずもがなではありますが、 上方落語. 四天王の一人 三代目小文枝=五代目文枝◽高津宮▪上方落語の「高津の富」 「崇徳院」 「稲荷俥」. の舞台の地として広く知られています。▪境内の参集殿は「高津の富亭」と名づけら. れ、落語や文楽などが行われています。. 文枝さん最後の口演となった「高津の富」. も 高津の富亭 において開かれた「くろも. ん寄席」だったとのことです。▪2005年は、文枝さん、吉朝さんが相次い. で亡くなられ、上方落語ファンにとって. 悲しく辛い1年となりました。◽好きな噺には. 「稽古屋」 「次の御用日」 「天王寺詣り」. 「喧嘩長屋」 「喧嘩の仲裁」 「鍬潟(クワガタ)」. 「三十石」 「船弁慶」 「宿替え」. などが・・・。◽上方落語の舞台の地巡り▪️四天王寺:「天王寺詣り」「鷺とり」▪️一心寺 :「天神山」▪️和光寺 :「阿弥陀池」▪️愛染堂 :浄瑠璃▪️高津宮 :「高津の富」「崇徳院」「稲荷俥」▪️坐摩神社:「古手買」. (正式呼称は、いかすり神社)▪️住吉神社:「住吉駕籠」 (現住吉大社)▪️大浜 :「堺飛脚」(旧堺港周辺)
神聖な場所ですね。
上方落語四天王の一人として戦後ほろびゆく危機にあった落語の復興に尽力し多くの弟子を育て、平成十七年一月十日高津宮での「高津の富」を最後に同年三月十二日鬼籍に入る。この碑はその功績を称え後世に伝えるため師が心血を注ぎ創作し演じた「熊野詣」に因み世界遺産にも登録された熊野の石材を用い長年の盟友であった、三代目桂春團治師の筆により建立した。平成十八年三月吉日社団法人 上方落語協会会長 桂三枝桂 文枝一周忌にあたる平成18年3月に建立された文枝師匠は平成12年より平成17年まで高津の冨亭に欠かさず出演し平成17年1月10日のとんど祭りが最後の高座となったこのような経緯より五代目 桂文枝を顕彰する碑が建立された石碑の題字は長年の盟友であった三代目 桂 春團治師匠の筆による。
| 名前 |
五代目 桂文枝 之 碑(高津宮) |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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五代目 桂文枝師匠は、現六代目 桂文枝(元 桂三枝)の師匠にあたる方で、文枝を襲名されるに前は“桂小文枝”を名乗っておられて、視聴者参加型のコンテスト番組“素人名人会”で長年にわたって落語や漫才担当の審査員を務められていました。テレビ画面を通してでも分かる優しい話しぶりや情の通った審査ぶりから、ある程度以上の年齢の関西人にはとても馴染みの深い落語家さんです。戦後大阪の落語を盛り上げた代表的な上方落語家の一人であることから、六代目笑福亭松鶴、三代目桂米朝、三代目桂春團治の各師匠方とともに“上方落語四天王”と呼ばれる大阪を代表する素晴らしい落語家さんです。その五代目文枝師匠が生前こちらの境内にある“高津の富亭”で行われる高座に欠かさず上がっておられた縁で、平成18年3月、こちらの場所に石碑が建立されたのだそうです。そして立て札にも記されているように、石碑の文字は先に述べた上方落語四天王の一人で生前故人と親交が深かった三代目桂春團治師匠の筆によるものだそうです。