杭全神社近く、歴史深い碑。
平野川氾濫被災者供養塔の特徴
約四百年前の天正年間に建てられた歴史的な碑です。
平野川では、荷物を運ぶ船が往来していた証拠が残されています。
歴史を感じる平野宮町に位置している供養塔です。
平野郷がある頃は平野川を荷物を運ぶ船が往来していたらしい。しかし大雨の度に平野川は氾濫し多くの犠牲者が出たと言う、この塔は被災者を供養するものです。
約四百年以上前の天正年間(1573~91年)の頃、平野川は物資の流通などに多いに利用され、現在の樋尻橋あたりに船着場があったそうですが、その反面、大雨のたびに氾濫を起こし多くの民が被災していたのだそうです。それを憂いた平野郷でも裕福だった油問屋でもあり屋号『なべや』と言う質屋でもあった金田(かなた)さんとおっしゃる方が、菩提寺である雲雷寺に頼んで供養塔を建立しました。雲雷寺は、慶長3年(1598年)に豊臣秀吉の命により、現在の所在地でもある大阪市中央区へ移ったそうですが、もしかすると移る前の寺は平野にあったのではないかと御住職の推測でもあります。昭和20年(1945年)の空襲により記録が全て消失したため、歴史を遡りきれないそうです。余談ではありますが、金田さんは、平野郷の中だけで使用できるお金に見立てた木札を作ったりもしていたそうです。
| 名前 |
平野川氾濫被災者供養塔 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
〒547-0046 大阪府大阪市平野区平野宮町2丁目2−41 |
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