両替商発祥の地、十兵衛横町。
天五に平五 十兵衛横町の特徴
両替商創業の地、天五と平五が向き合う歴史的スポットです。
1628年に誕生した両替屋の初源を示す石碑がここにあります。
江戸時代の経済制度発展を反映した重要な場所として知られています。
◽アクセス①堺筋線/北浜駅/北③:徒歩5分(開平小学校が平野屋の屋敷跡)◽「十兵衛横町」のいわれ▪️大坂において両替屋が生まれたのは1628(寛永5)年、天王寺屋五兵衛が始めたのが最初だと言われています。▪️両替屋の最有力者十人両替の「天王寺屋五兵衛」と「平野屋五兵衛」の2軒が道をはさんで店を構えていたことから、「十兵衛横町」 と呼ばれました。◽上方落語紀行(北浜~天満~大手前~番場町)▪️青物市場跡碑 :「千両蜜柑」▪️天満橋 :「片棒」▪️天神橋 :「天神橋」▪️難波橋 :「遊山船」 「船弁慶」▪️大阪俵物会所跡 (史跡)▪️大阪証券取引所:「米揚げ笊」▪️花外桜(加賀井) :「禍は下」▪️天五平五十兵衛横丁 (史跡)▪️今橋 :「須磨の浦風」▪️高麗橋 :「百年目」▪️里程元標跡 (高麗橋東詰)▪️大阪銀座跡 (史跡)▪️釣鐘屋敷跡 (史跡)▪️東町奉行所跡 :「佐々木裁き」(番外編) 噺の舞台は西町奉行です▪️西外堀(城番場):「矢橋船」「初天神」
【両替商創業の地】▼両替商が生まれたのは、大坂では寛永5年(一六二八)、天王寺屋五兵衛(てんのうじやごへえ)が始めたのが最初とされている。約40年後に、公の機関「十人両替」が誕生。最大手の天王寺屋五兵衛と平野屋五兵衛(ひらのやごへえ)の二軒が道を挟んで店を構えていたことから、二軒を足して「十兵衛横町」と呼ばれた。▼両替商は、金・銀・銭の3貨幣の交換、貸付・手形振出・為替・預金・大名貸などを行い、大坂で最も発展。寛保3年(一七四三)金相場会所が設けられ、明治11年(一八七八)に証券取引所が設立されるまで、両替商の業務はこの地で行われたとのこと。▼こうして碑があると気づき、歴史を知るキッカケになり、とても有り難い。
豪商、天王寺屋五兵衛(天五)と平野屋五兵衛(平五)が向い合わせで店を出していたので「天五に平五十兵衛横丁」と呼ばれていて石碑があります。今は大阪市立開平小学校です 奇妙なトラベラーたかぼん。
江戸時代、経済制度の発展に伴い、今日の銀行的業務の必要が生じ両替商が生まれてきた。大坂では寛永5年(1628)天王寺屋五兵衛が始めたのが最初という。寛文10年(1670)には幕府により十人両替が誕生した。ここにはその中でも最大手の天王寺屋五兵衛と平野屋五兵衛の2軒が、道を挟んで店を構えていたことからこのように呼ばれた。
両替商の天王寺屋五兵衛と平野屋五兵衛が向い合せに店を構え、俗にこの地を十兵衛横町といった。
| 名前 |
天五に平五 十兵衛横町 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.1 |
| 住所 |
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両替商創業の地だそう。両替商が生まれたのは、大坂では寛永5年、天王寺屋五兵衛(てんのうじやごへえ)が始めたのが最初とのこと。約40年後には、公の機関「十人両替」が誕生。最大手の天王寺屋五兵衛と平野屋五兵衛(ひらのやごへえ)の2軒が道を挟んで店を構えていたことから、2軒を足して「十兵衛横町」と呼ばれた。両替商は、金・銀・銭の3貨幣の交換、貸付・手形振出・為替・預金・大名貸などを行い、大坂で最も発展したそう。