日蓮宗の歴史、感じるお墓。
不受不施僧の墓の特徴
不受布施派の僧侶のお墓で、信徒以外のお布施は受けません。
日蓮宗の宗派に属し、中世日本の宗教家日蓮に関連しています。
墓地は静寂な雰囲気が漂い、訪れる人々に深い感慨を与えます。
2024年8月7日に墓参しました。江戸幕府のキリシタン弾圧は、良く知られています。しかし、日蓮宗不受不施派の寛文法難については、余り知られていないと思います。この一派の僧侶は、信者以外を供養せず、信者以外から布施を受けない宗制を護持しています。この宗制は、幕府の統制に逆らう制度であったため、寛文6年1666年に禁断の措置が取られました。非合法の宗教活動とみなされ、信者は捕らえられ、処刑されたり、流罪になったりしたそうです。内信と言われ、隠れキリシタンと同様に地下組織として信仰を守ってきたとのことでした。明治9年1876年に再興の許可が降り、法難は去ったといわれます。宗教弾圧の場として語り継ぐべき場所だと思います。
信徒以外のお布施は受けないという、日蓮宗の宗派、不受布施派の僧侶のお墓です。不受布施派は幕府から危険思想と看做され、弾圧されました。
| 名前 |
不受不施僧の墓 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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日蓮は中世日本の宗教家の一人で日蓮宗の開祖です。で、日蓮の教えの中に不受不施義というものがありました。「法華経を信仰しない者から施しを受けない、法施をしない」というものです。経時的に日蓮宗には様々な分派が生まれ、中には不受不施義を柔軟化させる分派も現れます。一方それを堅持した分派もいたのです。俗にいう「不受不施派」です。彼らは支配者層から危険視されキリシタン同様禁教とされます。そして多数の信者が死罪や流刑に処せられました。1876年(明治9年)の禁教解除までに、死罪は156名、流刑181名を数えたのです。そしてその181人のうち25人が八丈島に送られたとされています。昭和58年、島内各地に葬られていた僧侶の墓が合祀されこの形になりました。実は今年の3月にもこの周辺まで来ています。その時はT社の純正ナビを使いましたが、この墓地の手前20mくらいで案内終了となりました。そのため「案内終了点」にあった石碑(写真参照)を「墓」と誤認し撮影しています。で今回はそのrevenge なのです。今回使用したのはGoogleマップのナビでしたが、これも手前20mくらいで案内終了となったのです。ちょうどこの石碑の真ん前でした。しかし今回は予備知識があります。更に前方へ進んでここを発見したのです(予習は大事ですね)。もっと荒れ果てた墳墓を想像していたのですが、きれいにまとめられていてちょっとびっくりです。しかも島民の墳墓の奥にあり、陽が落ちた後などだと見逃す恐れがあります。ご注意ください。2025.7.21