倉敷の弥生墳丘墓、神秘の古墳巡り!
楯築遺跡の特徴
まさに岡山のストーンヘンジと言われる遺跡です。
古墳群の上に位置する神秘的なストーンサークルです。
ブラタモリでも紹介された、歴史を感じるパワースポットです。
第一印象 ショボ! たったこれだけ? ガイド本や宣材写真は上手に撮りすぎ! パネマジ以上写真見たら凄い感動的に思えますが、ただ岩が無造作に5つあるだけ ほんと写真の画角勝利 円形に石あるから日本のストーンヘッジとか言う人は猫をライオンと評価してるようなものとはいえ、岩に紋様があるのが分かってる国の重文 旋帯文石 これは宝物庫にあるので見れません 弥生後期遺跡として教科書載るのも当然な一品山の頂上にあるので斜面登るのも大変 気をつけてください。
ボランティアガイドさんがとても親切に丁寧に解説してくれる。感謝楯築遺跡は弥生時代後期後葉西暦150~200年程で築造された。箸墓古墳は西暦240~260年になる。卑弥呼が魏に使者を送ったのが239年。この時代の吉備地方はとても興味深く、大切な時代だと思う。
本物の御神体を見れるとは、ありたがたや。見たことない形と紋様で、なんか凄いオーラを感じました。また、その御神体を祀っていた祠も当時のものというので、なんか趣があり、それをストーンサークルで囲い、その祠の下には朱水銀をたっぷり入れた棺があったとは凄いです。当時の日本に興味が湧きました。
[楯築遺跡(王墓の丘史跡公園)]倉敷市矢部に所在する弥生墳丘墓史跡形状は双方中円形で、王墓山丘陵の北側に弥生時代後期(2世紀後半)に造営された墳丘墓。直径約49メートル、高さ4、5メートルの不整円形の主丘に北東・南西側にそれぞれ方形の突出部を持つ。全長は推定83メートルで弥生墳丘墓としては日本列島において最大である。楯築遺跡に関する最古の記録として、1615年に記された『中国兵乱記』中の「楯山」という地名記載があり、この時点で墳丘上の立石が楯と見なされていたことを示す可能性がある。1681-1684年には楯築山に社殿が設けられ、楯築神社と名付けられた。駐車場から少し歩く。歴史的価値がわかった上で行くと楽しめる。おすすめ度:★☆☆☆☆2021.07.21
かなり古い古墳のようで説明書きもしっかりあって勉強できました。
あくまで仮説ですが、ガイドさんのお話によると、この古墳は卑弥呼が活躍していた時代よりも前に築かれたと考えられているそうです。棺の中から見つかったのは、2つの歯の欠片。どちらも小さな歯だったことから、埋葬されていたのは女性だった可能性が高いとのことでした。その女性が吉備王国の王の妃だったのか、それとも娘だったのかは、今も謎に包まれています。また、吉備と大和の間には交流があったともされており、この地は、日本という国が形作られ始めた原点のひとつとも言える場所です。
倉敷市矢部地区にある古墳吉備津彦と温羅との戦いのエピソードが残る遺跡です(後世の作り話ですが)。弥生時代後期のもので、双方中円墳と言われる円墳に長方形の突起が2つある独特な形。規模も大きく、当時のものとしては最大級だそうです。古墳の頂上部は巨石がサークル状に建てられていて、神聖的なものを感じさせます。以前は神社が建てられ、亀石と呼ばれる弧帯文石が御神体として祀られていましたが、歴史的価値が高いということで収蔵庫が作られ、そこに保管されています。周囲は住宅地が造成されていますが、この丘陵一帯に古墳群が多く存在していて、散策して周るのも面白いかも知れません。駐車場は入口付近に専用駐車場が設けられています。そこから墳丘頂上部まで徒歩10弱。途中に向山古墳群を観ることが出来ます。
歴史や史跡に詳しい方と同行して訪問しました。車を使えば近くに駐車場があり便利らしいのですが、いろいろな神社も訪問しつつなのでウォーキングがてら歩いて行きました。そのおかげで楯築遺跡付近の様子もよく分かり、より一層ここの景色を素晴らしく感じることができたと思います。そこまで歴史、史跡に詳しくない私でもこれは凄いなと感じる大きな環状にならんだ大石や、付近にある大きめの石たち見下ろす景色など、歩いてきた疲れが癒えるほど迫るものがありました。ここに神社があったとのことですが、その頃の様子も見てみたかったです。
表面がツルツルの石がありました。どのようにして磨いたのでしょうか?またオレンジの斑点は当時のものでしょうか?いろいろと不思議です。
| 名前 |
楯築遺跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
弥生時代後期の墳丘墓。この時代の墓はあまり残っていないため、貴重。実は桃太郎の元ネタにも関係がある。