倉敷の弥生古墳、歴史を感じて!
楯築遺跡の特徴
まさに岡山のストーンヘンジと言われる遺跡です。
古墳群の上に位置する神秘的なストーンサークルです。
ブラタモリでも紹介された、歴史を感じるパワースポットです。
貴重な弥生時代の古墳が見られる。看板も充実していてよくわかる。
元々、朝廷よりこの地の平定に派遣された吉備津彦命がこの地で暴れる温羅の攻撃を防ぐために築いた石楯だと言う事で楯築と言われていました。昭和まではこの地に神社があり、弧帯文石がご神体として祀られていました。大正年間以降、特に1976年~1986年の間に発掘調査が入ったところ、特殊器台・特殊壺含む多数の副葬品が発見された事から弥生時代末期の国内最大の墳丘墓として知られるようになりました。これは弥生時代後期から古墳時代後期まで続く、吉備国の隆盛を示すものであります。現地はかなり林と言った場所ですので、見学の際は虫の害にお気を付けください。私は知らなかったのですが、墳丘墓の上から高松方面に展望が開けている事を知りました。正直言うと、県立博物館とセットで訪れる方が学びは多いかと思います。
弥生時代後期の墳丘墓。この時代の墓はあまり残っていないため、貴重。実は桃太郎の元ネタにも関係がある。
第一印象 ショボ! たったこれだけ? ガイド本や宣材写真は上手に撮りすぎ! パネマジ以上写真見たら凄い感動的に思えますが、ただ岩が無造作に5つあるだけ ほんと写真の画角勝利 円形に石あるから日本のストーンヘッジとか言う人は猫をライオンと評価してるようなものとはいえ、岩に紋様があるのが分かってる国の重文 旋帯文石 これは宝物庫にあるので見れません 弥生後期遺跡として教科書載るのも当然な一品山の頂上にあるので斜面登るのも大変 気をつけてください。
ボランティアガイドさんがとても親切に丁寧に解説してくれる。感謝楯築遺跡は弥生時代後期後葉西暦150~200年程で築造された。箸墓古墳は西暦240~260年になる。卑弥呼が魏に使者を送ったのが239年。この時代の吉備地方はとても興味深く、大切な時代だと思う。
本物の御神体を見れるとは、ありたがたや。見たことない形と紋様で、なんか凄いオーラを感じました。また、その御神体を祀っていた祠も当時のものというので、なんか趣があり、それをストーンサークルで囲い、その祠の下には朱水銀をたっぷり入れた棺があったとは凄いです。当時の日本に興味が湧きました。
[楯築遺跡(王墓の丘史跡公園)]倉敷市矢部に所在する弥生墳丘墓史跡形状は双方中円形で、王墓山丘陵の北側に弥生時代後期(2世紀後半)に造営された墳丘墓。直径約49メートル、高さ4、5メートルの不整円形の主丘に北東・南西側にそれぞれ方形の突出部を持つ。全長は推定83メートルで弥生墳丘墓としては日本列島において最大である。楯築遺跡に関する最古の記録として、1615年に記された『中国兵乱記』中の「楯山」という地名記載があり、この時点で墳丘上の立石が楯と見なされていたことを示す可能性がある。1681-1684年には楯築山に社殿が設けられ、楯築神社と名付けられた。駐車場から少し歩く。歴史的価値がわかった上で行くと楽しめる。おすすめ度:★☆☆☆☆2021.07.21
かなり古い古墳のようで説明書きもしっかりあって勉強できました。
あくまで仮説ですが、ガイドさんのお話によると、この古墳は卑弥呼が活躍していた時代よりも前に築かれたと考えられているそうです。棺の中から見つかったのは、2つの歯の欠片。どちらも小さな歯だったことから、埋葬されていたのは女性だった可能性が高いとのことでした。その女性が吉備王国の王の妃だったのか、それとも娘だったのかは、今も謎に包まれています。また、吉備と大和の間には交流があったともされており、この地は、日本という国が形作られ始めた原点のひとつとも言える場所です。
| 名前 |
楯築遺跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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2世紀末の弥生式墳丘墓。方の部分は団地開発により破壊されていたようです。円墳上部の謎の巨大な列石も現存するもので全てだったのか、ストーンサークルの様に季節観測や祭祀で使用されていたのか、只の墓では終わらない雰囲気のある墳丘墓です。公園として綺麗に整備され駐車場もあるので是非伺って欲しいです。また御神体であった旋帯文石も隣接する収蔵庫に保存され小窓から覗く事が出来ます。ありがとうございました。