明治のレトロ校舎へタイムスリップ。
申義堂の特徴
明治の学制改革により開明学校へ改称された由緒ある史跡です。
開明学校と隣接したレトロな建物が魅力的に並んでいます。
申義堂は宇和島藩の郷校から受け継がれた歴史があります。
「西予市:申義堂」2025年2月にバイクツーリングで立ち寄りました。まさに寺子屋といった佇まいです。基本的に扉は閉じられているので自分で開けて中に入ります。鍵はかかっていません。なぜ申義堂と呼ばれるのかについては、中国の学者「孟子」の言葉「義を申(かさ)ねる」から来ています。意味は「正しい行いをくりかえす」というものです。さて、この申義堂ですが、明治2年(1869)1月18日、大師堂で塾を開き子弟を教えていた左氏珠山が、藩主伊達宗城の命により、宇和島藩校明倫館の教授として卯之町を去ることがきまったことがきっかけです。この時、子弟10余名は、珠山を訪ね、「今後誰を師にすればいいでしょうか」と訴えたところ、珠山は「(自分の師である)上甲振洋に頼む」と言う。さて、「大先生を迎えるには、大師堂ではいけない、もっと立派な学舎を建てよう」と同志相謀あいはかり、私費を出し合って建てることにします。これに感激した人々がみんなで協力して建築し、藩はこの建物を郷校とします。同5年(1872)11月、明治新政府の学制改革により、この建物を開明学校(初代校舎)として新たな近代教育が始まることとなりました。申義堂は、木造平屋建て、屋根は切妻桟瓦葺きで、右手に玄関があり、その奧床の間付き10畳の座敷が教場に当てられました。座敷の隣には6畳2室と3畳の部屋などがあり、講師の住居として計画されたものと推測されます。同16年(1883)坪ヶ谷から現在地に移され、新開明学校の校舎の一部として使用され今に至っています。
宇和島藩の郷校。時代劇にでてくる寺子屋そのもの!
宇和島藩の郷校が起源で、明治の学制改革により、開明学校と改称し、その後に新校舎(新開明学校)が建てられたが、そのまま校舎として使われたという。木造平屋建てで、切妻の玄関に情趣がある。市指定有形文化財。
開明学校と申義堂は隣同士にあり、明治のレトロな建物がさばらしい。中の資料も充実している。
開明学校の前身となった私塾です。
| 名前 |
申義堂 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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ザ寺子屋です当時の机や資料が残されていています入館には700円を道を隔てた宇和文化の里で払うようです開明学校も一緒にけんがくできます扉が閉まっているので手で開けます靴を脱いで仲間で入ることができます薄暗いなかで当時勉学に励んだ人たちに思いをはせました。