平塚八幡宮隣の歴史洋館。
旧横浜ゴム平塚製造所記念館 八幡山の洋館の特徴
日本火薬製造の技術者宿舎として建設された歴史ある洋館です。
平塚八幡宮の隣に位置し、バラの名所としても親しまれています。
展示は無料で、平塚の歴史を分かりやすく学べる貴重なスポットです。
無料で見学が出来る古い洋館です。室内は綺麗に保たれ、ピアノや雛人形が飾られていました。館内の会議室はセミナーやコンサートホールとして市民が利用出来るそうです。この洋館は戦前イギリス人支配人の執務室及び住居として建築されたそうですが、1919年に日本海軍が施設を買収します。戦後は横浜ゴムが米軍より払い下げ使用しましたが、2004年に平塚市に無償で贈与、八幡山公園に移築し復元されたそうです。
平塚八幡宮の横にある八幡山公園にあります。係員の方が平塚の歴史まで丁寧に教えてくれました。日露戦争後明治38年に海軍が火薬工場を設立してからの歴史で、戦後横浜ゴムに払い下げられ2004年に市が譲り受けこの地に移築との事建物の前はローズガーデンです。
2024.8【入館料】無料日本火薬製造株式会社の英国人支配人の執務室あるいは住居として建設されたと言われる建物。その後、高等官クラブとして利用され、戦後は米軍に接収、その後、横浜ゴムが本建物を含む一部敷地の払い下げを受け、主に応接室や会議室として利用されてきました。現在は平塚市唯一の洋館として、様々なレッスンや会合の場所として利用されています。内部の見学可能ですが見る場所は少ないです。【概要】明治37年(1904)2月~38年(1905)9月の日露戦争で日本海軍が使用した火薬(砲用発射無煙火薬)の全量は、当時、日本と同盟関係にあった英国からの輸入に依存していました。戦後、日本国内では無煙火薬国産化の必要性が痛感され、国内に火薬製造所を新設すべき、との議論が海軍内部よりわき起こります。その火薬製造所建設の地に平塚が選ばれます。平塚に火薬製造所が建設される背景には、江戸時代、中原を中心にかつて江戸幕府が管理した御林(おはやし)が16か所、126ha余にわたり存在し、明治以降、跡地は「御料所」となって帝室林野局の管理する広大な国家管理の遊休地がありました。大規模な火薬製造所を建設するための工場建設にみあう用地が容易に確保できたこと、明治20年(1887)の東海道線開通によって火薬製造に係る原材料と製品の輸送に利便な地であったこと、また、軍都横須賀に近いこと、相模川や金目川に囲まれ良質な地下水が比較的容易に確保できたこと、などが理由とされ、平塚が火薬製造所建設の地に選ばれるという歴史的事情がありました。明治38年12月、日本火薬製造株式会社(明治40年日本爆発物製造株式会社と改称)が、日英同盟のもと日本海軍とアームストロング社、チルウォース社、ノーベル社の英国三社の合弁会社として平塚町と大野町に跨る官有地と民有地を買収した38万坪(後に42万坪に拡大)の地に本社ロンドン、支店平塚として設立されます。製造所の建設は、英国ノーベル社よりカリーが工場建設監督、ウィルソンが補助として来日、また日本海軍技師市岡太次郎などによって開始され、工場施設の完成は明治40年末ごろといわれます。その中で本建物は、英国人支配人の執務室あるいは住居として建設された、といわれます。また明治44年(1911)に一度火災で焼失したとされ、再建されたともいわれますが、平塚市内では唯一、神奈川県内でも数少ない明治時代の洋風建造物です。大正8年(1919)、会社は日本海軍が全施設を買収し、4月、海軍火薬廠として発足します。火薬廠の発足後、本建物は高等官クラブ(正式名称:横須賀水交社平塚集会所)として使用され、昭和20年(1945)8月の終戦とともに火薬廠が廃廠となって、その使命を終えます。戦後は、米軍により接収され、昭和25年、横浜ゴム株式会社が、本建物を含む一部敷地の払い下げを受け、主に応接室や会議室として使用されました。平成16年、本建物は横浜ゴム株式会社より平塚市へ無償贈与され、八幡山公園に移築され、今後の保存と活用のため復元されました。
2024年もまた綺麗なバラを咲かせてくれました。とても可愛い色合いの洋館です。5月からバラが咲き始めます。
登録有形文化財だが、入館料は無料。ありがたく拝見させていただきました。21:30まで開館しているそう。女性のスタッフさんが爽やかに対応してくれた。外から見るだけではなく、靴を脱いで中に入り、部屋やベランダも体感することができ、タイムスリップしたかのよう。かつて英国領だったカリブ海の島国にいるような妄想も。応接間のソファに座れるのが、すごい。洋館の窓口に駐車券を提示すれば、近くにある平塚市役所の駐車場が90分まで無料と、至れり尽くせりでした。今度は夜にも来てみたい。
八幡山公園にある可愛らしい洋館。時々 音楽イベントや 季節のイベントが催されることがあり、何度か室内を見学させていただいています。
訪問前に日本火薬製造のイギリスの技術者のために建設された宿舎という情報を見ていたのですが、集会所兼娯楽施設でした。寝室に使える間取りはありません。名称が一番最初のではなく横浜ゴムなのは、移築前に横浜ゴムが文化財登録した際の名前です。文化財として使い続けるために、登録時の名称変更ができないルールに従っています。内部は移築時に一部を戻してあります。南東の部屋のマントルピースです。建築時はホールとなっている方にもマントルピースがありました。震災時に煙突が壊れてそれ以降は扉になっていたのを移築時に復元しています。照明も震災時に壊れたため、昭和5年につけられたものに置き換わっています。戦後は進駐軍に接収されていました。横浜のホテルニューグランドと同じく意図的に空襲対象から外されています。ここまでの内容、全て係の方に教えて頂きました。私の質問にお付き合い頂きました。ありがとうございました。横浜ゴムから引き継いで移築して活用している平塚市に感謝です。ホールが音楽イベントで使われると見学できない、マントルピースのある部屋も控室になるので入れなくなるそうです。展示室には建築直後からの平面図や火薬工事時代の引込線がかかれた地図があります。基礎煉瓦も展示されており、金町煉瓦の刻印が確認できました。
平塚八幡宮のお隣にある登録有形文化財の洋館。明治時代の洋館で周囲にはたくさんのバラが咲いて、まるでヨーロッパの邸宅を思わせるかのような雰囲気があります。バラの香りもいっぱいに満ちて優雅な気分に浸れます。八幡宮の参拝の際にはぜひこちらも足を延ばしてみるのがおすすめです。一日で和と洋の空間が味わえて満足です。なお、月曜日はお休みで館内に入館できないのでご注意ください。
【通り沿いに佇む~】日中も夜間もそれぞれ楽しめそうです😃イギリスの息がかかっていたようです!火薬産業にも従事されていました!
| 名前 |
旧横浜ゴム平塚製造所記念館 八幡山の洋館 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0463-35-7114 |
| 営業時間 |
[金土日火水木] 9:00~21:30 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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洋館の歴史を丁寧に説明頂きました弾薬等を作る工場の跡地を買い取った横浜ゴムから平塚市が洋館だけを譲り受けて八幡公園内に移築したそうです。