歴史をはぐくむ皆川城の魅力。
川連城跡の特徴
両毛線を挟んだ向こう側に堀の跡が広がっています。
皆川氏による大規模な城郭の魅力が感じられます。
かなり大きな城の存在感が圧倒的です。
1467年-1469年に川連仲利によって築城されたお城。東西180間、南北260間の46870坪の広大な城郭でしたが、今は一部を残すのみです。皆川氏、佐野氏の領地に接する要所のため、激しい争奪戦が繰り広げられたとの事。1590年に皆川氏の本拠を栃木城へ遷したのに際し、皆川城と供に廃城となりました。江戸時代には日光例幣使街道の富田宿と栃木宿をつなぐ中継地点だったとの事。
かなり大きな城だったそう。今はほぼ何もない。
両毛線を挟んだ向こう側に、堀の跡があるとかないとか......。昭和の終わり頃には残っていたそうですが、多分もう無いです。それでも頑張って土塁や水堀を見出だした人もいます。比較的わかりやすいものを挙げると、天満宮とは別に、陸橋の東側を北の方に歩くと、小高い築山があるようです(デカイ石碑・・・「少講義髙岩秀行報徳碑」のところ)。その他詳細は「川連城」で画像検索すると出てくるでしょう。文献が残らず、詳細はわからないお城です。伝えられるところによれば、・築城主:川連伊賀守仲利・築城年代:応仁年間(1467〜69年)・規模:東西百八十間(約327m)、南北二百六十間(約473m)そんなところです。川連城は皆川氏と佐野氏の領地が接するところに建っていて、両家にとって重要な地点だったと言うことです。そのため永禄六年(1563年)には皆川氏に攻められて落ち、天正六年(1578年)には佐野氏の旗下・粟野城勢に攻められて落ち、天正十三年(1585年)には粟野落城とともに皆川氏の手に落ち、主の行ったり来たりが忙しい城でした。天正十八年(1590年)、皆川落城とともに廃城となりました。
線路によって分断された皆川氏の大規模な城郭。
| 名前 |
川連城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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川連氏の城でしたが皆川氏と佐野氏の争いに巻き込まれててんやわんやしてる城です。縄張りを見るとシンプルな方形館をどんどんパワーアップさせていったような構造だったみたいです。しかしなにやら両毛線が貫いたりバイパスが貫いたりかなり遺構は破壊されてしまっています。しかし両毛線の北側、陸橋沿いに土塁の残欠が残ります。また南側、滝沢ハムの西側に堀の名残(大手)?っぽいようなものがあるようなないような…また川連天満宮はバイパス建設の際に遷宮されたそうです。