与治山で見下ろす絶景。
与治山神社の特徴
壮大な景色が楽しめる神社で、自然に囲まれています。
引田と白鳥の町を一望できる絶好のロケーションです。
ブレアの森のような落ち着いた雰囲気が魅力です。
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登山道入口から、簡単に登れます。
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ブレアの森みたい。
引田と白鳥の町を見下ろすことができます。
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| 名前 |
与治山神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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与治山の山頂にあり、社殿から東のほうの眺めがとても良いです。以下、ふもとの石の鳥居近くにある説明板から引用です。いちぶ漢数字を算用数字に改めました。ーー◎清少納言由来(与治山神社)その由来はつまびらかでないが、世間の人々は昔から当神社を清少納言社と呼んでいる。今は昔、京都の名門藤原忠光の娘が悪病のため、小舟で流され引田の安戸浦に漂着、里人の梁木宗左衛門に救われたが、5日後に亡くなった。里人たちは不憫と哀れみ、誰言うともなく流れ着いた地名にあやかり安戸姫と予備、高さ187メートルの与治山頂上に、京の都に向けて葬ったと伝えられる。現在も山頂から引田の安戸や、遥か遠く播磨灘の彼方を眺望し、往時の哀感を偲ぶことができる。時は流れ永享9年(1437)9月1日、梁木卯左衛門がここに祠を立てお祀りしたといわれ、生前の安戸姫が都で少納言の官位を語っていたことから、清少宮と呼ぶようになったが。現在山頂に清少納言社が祀られ、旧暦8月1日(現在は9月の第一日曜日)の八朔祭りの祭礼には、かつて近郊近在から数千人の参拝者が訪れ、賑やかに盛り上がったと伝えられる。とりわけ歴史的な伝説から縁結びの神として、女性の願いが叶う信仰が定着したと推察できる。もと山神社と称したが、大正3年(1914)与治山神社と改称し現在にいたっている。(香川県神社誌等参照)この清少納言由来は、香川神社誌や引田誉田神社中山宮司家秘蔵と聞く「藤原忠光の息女にかかる伝説」など参照したものです。かがわ生活相談・相互支援センターの協力で、現代用語に書き改めました。伝説や史実は先人の生い立ちを偲び、今後のあるべき姿を指しており、大切に伝えねばなりません。新川をよくする会。