秀吉の一夜城、絶景の舞台!
石垣山一夜城の特徴
豊臣秀吉が築いた、一夜で完成した伝説の城跡です。
小田原城を見下ろす絶景スポットで、高台に位置しています。
整備された道を歩いて上れば、壮大な石垣が迎えてくれます。
「石垣山一夜城」は正式には石垣山城といい、1590年の小田原合戦で、豊臣秀吉が小田原北条氏を攻める際に本陣として築いた陣城です。小田原市街を一望できる笠懸山に築かれました。「一夜城」という名は、森を伐り払っておいて工事の様子を北条側から見えないようにし、仕上げの段階で一気に木を伐り倒して、まるで一夜にして城が現れたように見せたという伝承からきています。現在は「石垣山一夜城歴史公園」として整備されています。箱根湯本側から訪問しました。くねくねとした道を上っていき、「石垣山一夜城」の駐車場に車を停めました。駐車場は広くトイレもあり便利な所です。駐車場からも立派な石垣跡が見えて、「陣城」でありながら本格的な山城としての構えであると感じさせたられました。短期間でここまで作らせた秀吉の凄さを実感させられました。本丸跡近くの展望台から小田原市街と相模湾が一望できます。後世「小田原評定」と呼ばれ会議をしている小田原方の心理はいかがなもんだったのかを考えさせられました。ここは小田原攻めに遅れた伊達政宗の白装束によるパフォーマンス・服従、そして秀吉の全国統一完成と日本の歴史を突き動かした場所でもあります。帰りは、小田原漁場に向けてほぼ真っ直ぐ山を降りていきました。ここを小田原観光のメインとすることをお勧めします。
一般に「秀吉の一夜城」と呼ばれるものは、大きく二つあります。①岐阜県大垣市墨俣町にある、秀吉の出世の原点となる永禄9年の美濃攻めの砦となった『墨俣一夜城』②神奈川県小田原市にある、北条氏の 小田原城を包囲した拠点となった 天正18年の小田原攻めの本格城である『石垣山一夜城』今回訪問したのは②です。『一夜城』とは言われていますが実際には80日程度かかったようです。林で隠して築城し、完成後に木を一気に伐って、北条方に「一夜で城が現れた」ように見せたことから名が付いたということです。小田原城を包囲するため、早川村笠懸山に築いた陣城で、豊臣方の大軍を統率する本営であり、全国の諸大名がここに参陣。現在は、国史跡「石垣山一夜城」として、本丸や各曲輪の石垣、地形構成などがよく残り、戦国末期の陣城としての姿をたどることができます。石垣山に行くには「歩くこと」自体に興味のある人はともかく、「じーさん」のように途中に「ビール」だとか、「ラーメン」だとかご褒美が先にないとちょっとね...という人は厳しいです。ただ、そういった人にも土日、祝日には巡回バスが小田原から出ているんです。ちょうど今回回るコースが網羅されているので利用すると良いです。私は9:30分の始発に乗っていきました。20分ほどで...バスの行程をゆられながらぼ~っと見ていましたが、やはりバスで正解😏歩かなくてよかった...『よろいづかファーム』のバス停と同じです。世界的にも有名なパティシエであるよろいづか氏(かの故「川島なおみ」さんの夫ですね)のお店があるんです。レストランは予約しないと厳しいですが、ケーキは購入できます。シュークリームくらいは購入して...とは思ったのですが、バスの時間でダメでした😥バスを降りるとすぐそこに石垣がデ~ンとあります。あくまで城跡ですから、どこまで行っても石垣と跡なんですが、結構立派な遺構がのこっていてそのわずかな期間に築城された城を見て北条氏が降参するのも頷けます。だって、 秀吉は22万とも言われる大軍で小田原城を包囲した上、普通の城を短期間で築城したのですから。遺構としては、本丸・二の丸などの曲輪跡周囲をめぐる石垣や虎口井戸跡や建物礎石跡といったものが確認され、当時の規模感や軍事拠点としての性格をつかむことができます。
石垣山一夜城 は、1590年(天正18年)、豊臣秀吉が小田原攻めの総仕上げとして築いた本陣の城です。「一夜城」という名前が有名ですが、実際には約80日をかけて築かれたもの。周囲の木々で工事を隠し、完成のタイミングで一斉に伐採したことで、北条方には“ある日突然、巨大な城が現れた”ように見えた――そんな劇的な演出がこの名の由来と伝わります。この城は、日本で初めて本格的な総石垣造りを採用した城の一つともいわれ、後の近世城郭の原型となった存在です。天守に相当する櫓跡からは小田原城や相模湾を一望でき、秀吉はこの圧倒的な眺望を利用して、兵力と財力を“見せつける”心理戦を展開しました。さらに石垣山には、秀吉らしい華やかな逸話が数多く残ります。戦国の陣中では異例にも、正室の 高台院 や側室の 淀殿 をはじめ、多くの女性を呼び寄せ、茶会・能・歌舞伎踊りなどの催しまで開いたと伝えられています。戦場でありながら文化サロンのような空間をつくり出す――まさに“天下人の演出”そのものです。また、小田原攻めの最中には、後世まで語り継がれる有名な逸話もあります。秀吉と 家康 が並んで用を足していた際、秀吉が何気なく「関東へ移ってみてはどうか」と切り出したという話です。家康はその意図を即座に理解し、「命とあらば従います」と応じた――というもの。ただし、この“連れション”逸話は軍記物に由来し、史実として確認できる一次史料はありません。一方で、小田原攻め後に家康が関東へ移封されたこと自体は確かな歴史です。小田原城が開城した1590年、約100年続いた戦国時代は終息へ向かい、秀吉の天下統一が完成します。現在の石垣山一夜城跡には、当時の石垣や井戸、曲輪が良好に残り、展望台からは小田原市街や相模湾を一望できます。「一夜で現れた城」「戦わずして勝つための城」――そんな歴史ロマンを感じながら歩けば、秀吉のスケールの大きさを肌で感じられるはずです。
豊臣秀吉が1590年の「小田原攻め」の際に築いた「石垣山一夜城(太閤一夜城)」は、小田原城からわずか約3km離れた笠懸山に位置する本陣跡です。秀吉が周囲の木々に囲いを施し、あたかも一晩で城が出現したかのように見せつけ、北条軍の戦意を喪失させたと伝わる有名な城です。秀吉は小田原城を囲む長期戦(小田原征伐)のなかで、敵に見えないよう山中に城を築き、完成した瞬間に周囲の樹木を伐採して姿を現しました。この圧倒的な光景により、小田原城の北条氏政・氏直父子は大きな心理的ダメージを受けたとされています。実際には約80日かけて築かれた本格的な城で、関東初の総石垣の城でもありました。現在は「一夜城歴史公園」として整備されており、国の史跡に指定されています。本丸跡の展望台からは小田原市街や相模湾を一望でき、かつて秀吉が見下ろした景色を追体験できます。関東大震災の被害を受けつつも、当時の見事な野面積み(のづらづみ)の石垣が残っています。
2026.4.14(火)登城。石垣山城は、1590年に天下統一を目指す豊臣秀吉が北条氏の小田原城を包囲したとき、本陣として築城された城です。完成のとき、周囲の木々を伐採。いきなり城が現れ、一夜で築城されたように見えたので「一夜城」とも呼ばれています。実際は3ヶ月弱だったようです。石垣のみの遺構ではあるが、敷地はとても広く、スケールの大きさを感じられます。展望台から小田原城を眺めることができ、当時の小田原城までの距離感がリアルです。城を攻めるためだけのこれだけ大規模な城を作ってしまう秀吉の構想力。水陸16万人の大群で小田原城を包囲してしまう秀吉の戦術も感じられる場所です。
小田原市街地から15分ほど車を走らせると見えてくる有名な城跡。坂道は狭いですのでスピード注意。駐車場は思ったより広く、城跡は整備されていて観光しやすかったです。高台からは相模湾と小田原城が一望でき、秀吉はここで茶会まで催したというから、北条氏はもちろん、東国の大名に桁外れの財力を見せつけた事になります。穴太衆(あのうしゅう)が積み上げた石垣は1923年の関東大震災で崩れてしまったそうですが、300年以上も保持していたのはスゴいですね。
豊臣秀吉が小田原城を見下ろすようにして造った城。下から登山してくる人が多いが山登りしたくないなら小田原駅東口バス乗り場から土日のみ運行のうめまる号に乗ればヨロイズカファーム前まで楽に来ることができる。ファーム前から本丸跡や展望台まで行って戻ってきても往復1時間かからない。往時の石垣や小田原城を見下ろす絶景など見所は多い。秀吉と家康の連れションや白装束で恐縮しきりの政宗に想いを馳せてみるのもいいかもしれない。
天下統一を掲げて小田原城の包囲した秀吉を登った山です。実際には築城まで80-90日掛かったそうですが、城を隠していた木を切り倒すことによって、小田原城の北条勢からは一夜にして城が現れたように見えたんだとか。今は少々の石垣しか残っていませんが、歴史を感じるには十分です。展望台からは小田原城下と駿河湾の絶景が望めます。一夜城を歩き回った後は、漁港の駅で海鮮丼を。
小田原合戦(1590年)の際、突貫工事で築城され豊臣秀吉の居城と成った跡地です。今は朽ちてカルスト台地の様な風景が広がります。この地に立つと「夏草や兵どもが夢の跡」が脳裏に浮かびます。歴史・朽ちて行く風景の哀愁の様な雰囲気が漂います。それとは逆に相模湾・小田原・湘南を一望出来る眺望の良さは美しいの一言につきます。駐車場から徒歩10分程、トイレ・ベンチ・展望所完備。
| 名前 |
石垣山一夜城 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
0465-23-1373 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.odawara.kanagawa.jp/public-i/park/ishigaki-p.html |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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「一夜」というのは勿論レトリックですが、大きな石が並んだ野面積みの石垣を見ると、約60日で築城されたというのは本当に驚きです。北条氏からは見つからないように築城されているという割に石垣がしっかりしているのは、防御という意味合いもあるでしょうが、威圧感を示す(見せる)という意味もあったのかなと感じました。石垣山からは小田原城はしっかり見えており、良い立地だなあとつくづく実感しました。ジオパークの案内にも書れていましたが、小田原のある足柄平野一帯は北米プレートとフィリピン海プレートの境界で、北条攻めは天下分け目の戦いというのは上手く言ったなと感じました。近くまで道路や駐車場が整備されており、車でアクセスしやすくなっています。