新田義貞ゆかりの九品寺へ。
九品寺の特徴
新田義貞が開いた浄土宗の古刹で、歴史あるお寺です。
鎌倉三十三観音の第16番札所としても知られ、美しい御朱印がいただけます。
鴨の鳴き声と木々の香りに包まれた、夏の涼しさを感じる場所です。
鎌倉攻めの大将であった新田義貞が本陣を構えた場所で、義貞が敗れた北条家の戦死者を弔うために創建されたお寺。という歴史的なこと以外は普通のお寺でした。
私事、鎌倉三十三観音霊場を巡礼しておりまして、ここ九品寺は第十六番札所です。鎌倉から室町への時代の過渡期、今の群馬県の新田義貞公か鎌倉北条氏を攻め込んだ際に陣を構えた場所に鎮座しています。よって山門と本堂に掲げられている扁額はレプリカですが新田義貞公の揮毫だと手元のガイドブックに有ります。一般の住宅が建っていて画像は憚られ撮りませんでしたが本堂の左手に数メートルの高まりが有ります。御朱印を拝受させて頂く際にお聞きしたところ、自然な地形でこの高まりが有ったからここに陣を張ったのでしょうとのことでした。その家の2階からの景色を想像しながら鎌倉駅へと向かいました。
9時に訪れるとちょうどお寺の方が出ていらしてたので、御朱印を依頼できました。Googleマップで徒歩検索したらだとものすごい狭い地元の道を案内されハラハラしました。
2025/5/21浄土宗内裏山靈嶽院九品寺、建武3年(1336年)新田義貞が北条方の死者を弔うために創建。光明寺末。山門の「内裏山」・本堂の「九品寺」の文字は、新田義貞の書写と云う。非常に不可解だが、九品寺に関して新編鎌倉志には見当たらず新編相模風土記には1~2行しか書かれてない。山門前には2基の石碑が立つ。右は、大正時代に成立した「鎌倉三十三観音霊場第十六番札所」ー昭和の建立。左は、「弘法大師 廿一ヶ所第九番 東京牛込區 大師講」ー明治37年5月建立。これは”弘法大師相模二十一ヶ所霊場”の第9番を指す。明治後期~大正初めの頃は盛んだったようだが、現在の活動は不明。石碑の形は違うが鎌倉では何ヶ所かの寺院に立っており、いずれも東京の講が建立した。山門をくぐると、変わった六地蔵塔と不動尊像が見える。次に宗祖”法然上人”の石碑が見える。そこに”宗歌”が有る。「月影の いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ」過去に何箇所かで同じ歌を見ている。ここで初めてこの歌が宗歌と知る。
新田義貞が鎌倉攻めの際、陣を構えた場所で、幕府滅亡後に彼が北条方の慰霊のために創建したのがこの寺院とのこと。今は街角に佇むお寺さんに過ぎません。合掌。
鎌倉駅から東に向かい小町大路にあたって、ずっと南に進んできた道沿い、鎌倉市は材木座に大体鎌倉駅から徒歩20分ほどの距離にこちらの九品寺があります。後醍醐天皇に与し、当時の鎌倉幕府倒幕になみなみならぬ貢献をした新田義貞が陣を構えたとされる場所がこちらの九品寺だそうです。そして新田義貞が鎌倉幕府の北条方で討たれた者らの魂の弔いのために建てたのが、こちらの九品寺になるようです。春先にもなると、境内にはほのかの梅の花が咲き美しいです。
お十夜法要で大本山 光明寺へ行く前にこちらへ参拝 練り行列前の静けさがあった 二度目の参拝だ 新田義貞の文字を写したものと言われる山門の内裏山の文字や本堂の九品寺の文字はを意識する 覚えた月かげを歌ってみた 御本尊は阿弥陀如来 お十念を称え手を合わす 南無阿弥陀仏 ここで行われた鎌倉幕府滅亡直前の戦いをイメージしながら境内を歩く。
新田義貞が鎌倉攻めの際亡くなった人達を弔うために開いたとされる浄土宗の古刹。観光コースの寺ではないが、鎌倉幕府終焉の場所の一つとしてとして訪れる歴史ファンも多い。
鎌倉幕府滅亡後、新田義貞が敵方の北條の亡くなった武者を弔うために開いたと伝わる浄土宗のお寺です。山門と本堂の扁額は新田義貞の筆を写したものだそうです。
| 名前 |
九品寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0467-22-3404 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 9:00~16:00 |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
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山門方向から見ると、境内はそれほど広くないように見えるが、奥に広がりがあり、敷地は結構広いようだ。山門前に、「ニ一ヶ所・第九番・弘法大師」の石碑、「鎌倉三十三観音霊場・第十六番札所」の石碑、大きめの地蔵が建立され、鎌倉市の案内板が設置されている。案内板で、「九品」の意味、創建(1337年)の経緯等を知ることができる。本堂は、関東大震災(1923年)で全壊し、その後再建されたもの。緑青の銅屋根は美しい。