歴史の片隅にひっそりと。
東京府庁舎跡の特徴
東京府庁舎跡は、昭和30年に文化財として指定されています。
明治27年に建設された歴史的な庁舎の跡地として存在しています。
東京国際フォーラムの傍らにあり、小さな碑と看板がひっそりとあります。
東京国際フォーラム・ガラス棟の北端に、古びた石碑と案内板を発見。江戸から東京府、そして東京都へと移り変わる過程で、かつてこの一帯に東京府庁舎があったことを今に示す、唯一の旧跡だそうです。昭和30年に、都により旧跡に指定されています。もしも、第二次世界大戦中の戦火から庁舎が残ったとすれば、現在の有楽町界隈も違った発展を見せていたのでしょうか。
多くの車や人が行き交う道路沿いの、東京国際フォーラムの片隅にひっそりと残っている東京市役所、東京府庁舎跡の石碑。遠く昔の丸の内の姿に想いを馳せます。
東京府庁舎跡は東京都が昭和30年(1955)3月28日指定した文化財です。東京都によれば『東京府は、明治元年(1868)南北市政裁判所(旧、江戸幕府の南北両町奉行所)の機能を継承して設置された。管轄区域は、旧朱引内の町奉行支配地であった。当初、東京府庁舎は幸橋門内の旧大和郡山藩柳沢家上屋敷に置かれたが、明治27年(1894)当地に移転した。当地の府庁舎建設にあたっては、寛政改革で時の老中松平定信が定めて以来蓄えられてきた七分積金が建設費用にあてられた。』とのことです。
片隅にひっそりと佇んでます。
有楽町近くにある府庁跡地です石一つと看板のみです。ご多分に漏れず、米軍のエアフォースの前には灰へと変化させられたわけですね。
ビルの傍らにあります。
新宿の都庁の前の前だったと思います。
明治維新で江戸は東京と改称されたのは有名ですが、太平洋戦争のどさくさで今の東京都になるまでの間、東京府があり、その府のなかに東京市があったんですね。今の大阪とか京都と同じように。現在の東京国際フォーラムは東京府庁、府と市が一緒になってからは転じて東京都庁ですが、その跡地を再開発して建てられました。古い庁舎は約100年有楽町付近にあり、老朽化を理由に新宿の新しい豪華な建物に移転しました。
東京国際フォーラム脇にあり、ひっそりと碑と看板があります。注意しないと分かりづらいかもしれません。
| 名前 |
東京府庁舎跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ここにあった丹下健三の都庁には岡本太郎の以下の絵の陶板があったが老朽化で解体。