古墳時代の謎、三角縁神獣鏡を探る!
東松山市埋蔵文化財センターの特徴
古墳時代の展示が豊富で、東松山の重要性を実感できる場所です。
埼玉県内最古の古墳やさきたま古墳群が近くに位置し、歴史的価値が高いです。
狭いスペースを利用して、古墳時代に特化した展示が行われています。
展示施設は小さいが、古墳時代の東松山市についてよく知れる。
岩鼻、吉ヶ谷、五領と土器の流れが良く理解できて大変良いです。出来れば群馬からの流れも展示して欲しいです。
2025年9月6日、ミニ三角縁神獣鏡の鋳造体験に参加しました。メインは夏休みの子供向けだったそうですが、今では大人も参加OK。今回は子供2人で大人6人でした。合金を溶かして鋳型に流し込み、後は紙ヤスリで磨いて、最後に液体ポリッシュで仕上げます。鏡面にアバタが出来てしまい、綺麗にならないかと半ば諦めましたが、根気よく磨いたら綺麗に仕上がりました。表面もミニチュアと思えないほど、精巧に再現されていて、素晴らしい出来上がりになりました。機会があれば、是非参加してみてください。夏休みの期間だけですが。参加費800円でこの体験は最高です。
展示室は広くはないので、古墳時代に特化した展示になっています。埴輪はだけでなく、三角縁神獣鏡や短甲も見られます。また、以前話題になった蛇行剣(50㎝ぐらい)も見ることができます。ただし、土日は開館していないようなので、ご注意を。館内に入ると、すぐに対応していただき、照明とエアコンを付けてくださいました。また、帰りにはパンフレットを一式いただけました。ありがとうございました。また、見学させていただきます。
展示室には、市内の五領遺跡と反町遺跡から出土された土器、鉄器などが展示されています。五領式土師器と名付けられたものがあり、東松山に優れた稲作文化があったことに驚かされます。また、東松山がヤマト政権との繋がりがあったことを示す三角縁神獣鏡も展示されています。五領遺跡は保健所や住宅街に、反町遺跡はピオニーウオークとなりましたが、その地に立ち、辺りを見回すと、この地で生活をしていた遥か縄文時代の人々や当時の景色が偲ばれます。将軍塚古墳は未盗掘の可能性が高く、将来の学術的な調査が待たれます。また、事務室内に声をかけると、五領遺跡や反町遺跡のことに関して、様々な質問に答えてくれます。駐車場も広く、訪問者も少ないので、のんびりと見学できます。
三角縁神獣鏡を見にいきました。
東松山市内にある古墳から出土された品々が展示されています。1300年以上前の物がそこにあるという事実に興奮します。今後も市内やその周辺の古墳巡りを楽しみたいと思います。
古墳時代の展示資料館 東松山がこの時代 大変に栄えていた事を感じとれました。
東松山は県内最古とされる古墳やさきたま古墳群以外では最大の前方後円墳があり埼玉の古代史には重要地域。埼玉県で唯一の三角縁神獣鏡の展示があり、埴輪や土器のほかガラスや水晶の装身具など興味深い展示を楽しめます。もっと広い展示スペースがあれば...
| 名前 |
東松山市埋蔵文化財センター |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0493-27-0333 |
| 営業時間 |
[木金月火水] 8:30~17:15 |
| HP |
https://www.city.higashimatsuyama.lg.jp/soshiki/55/3713.html |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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以前耳にした「三角縁神獣鏡」(実物と復刻品)が展示されている、と言うことで行ってみました!実物は、複数に破断していましたが、細かい彫刻は良い状態で残っていました。製造は「鋳造」らしいですが、その技術も素晴らしい! 復刻品は、材料分析結果をもとに作成したもの、とのことでしたが、彫刻部や周辺の三角縁、また、鏡面の余りの綺麗さにびっくり! 復刻(2014年)後、12年経過しているが、ぴかぴかで奇麗! 銅が主体の鏡の場合、表面は酸化されるし、なかなか現代の「鏡」に匹敵することは難しいと思っていましたが、復刻品を拝見すると、余りの出来の良さに驚きました。本当に「鏡」になっていました。(ただし、当時の実物が復刻品のレベルであったか、分かりません、、。)三角縁神獣鏡については、「中央の王権から、地方の首長への下賜品」が有力な説になっているらしい。現代でも、神社のご神体に鏡が据えられることを考えると、「王権からの下賜品の鏡」で「ご神体になりうる鏡」を所有することは、首長にとって、住民からの崇拝を一層高めるのに十分なものだったのではないだろうか?また、銅製のお椀、鈴の付いた腕輪、、、いったいどのような技術で製造された物か、不思議! 両者とも、寸法精度が素晴らしい、後者については、円錐状に加工された腕輪部と、腕輪部に付属した複数の「鈴」の加工法はどのようなものだったのだろう? 鉄の使用はあった様なので、治具と叩き道具の組み合わせによる、叩き出し? また、「腕輪部」と「鈴」部の固定法はどうなっているのか?(まさか、全体が叩き出しとは思えないが。)。 現代なら、銀ろう溶接だろうけど、、。また、首飾り用の、石から作った、ボールペンの芯サイズの管、どうやって、穴を開けたのでしょう?? 現代でも加工は、難では??? 数mmのガラス玉作製の鋳型も、興味深い!その他、刀剣、武具、農具、埴輪類が多数で、見ごたえがありました。鉄製短甲、鉄製筒鐙(つつあぶみ)など、古墳時代当時の技術の高さを感じました。社会構成(身分性も?)が、しっかりできていたこと、職人さんが存在したこと、中央政府との強いつながりが有ったこと、等、レベルこそ違うものの、今と同じような社会構成になっていたことが分かりますね。恐るべし!分からないことは、中央政府との街道の状況。江戸時代に五街道の整備が進みましたが、それでも、東海道では、箱根や、さった峠等、驚くような道路事情(歩道)。今でも大変な道路ですが、当時もこのような道を経由して中央と行き来したのだろうか? 生活に必要な塩の入手は?? 知りたい事が沢山あります。なお、説明によれば、この施設は博物館や資料館でなく、今の展示室も、公式には「倉庫」であるため、土・日、祝日が休館になっています。先々、市民の皆様が望む、正式な「資料館」になり、収蔵庫の保管品も展示されることを期待します。